おかあさん本舗 新潟支部

12人の子どもを産んだお母さん、麗子さんは、マリア様だった、、、らしい。聖母マリア様にはあったことがないから、本当にそうなのかはわからない。だいたい、自分自身だって何者なのかよくわからないのに、人のことなんてもっとわからないんだけど。

じゃあ、どうして?と言われれば、チャネラーの友人が、”麗子さんはマリア様そものものだ”っていうのだから、そうなのかもしれない!と思って、そう思うことにしたからなのだ。

麗子さんのことは、何度も星読みをさせていただいている。星読みは色々な角度から自分を理解できるツールなので、無限と言って過言でないくらい何度だって読み解ける。で、麗子さん特異なところの一つに、社会天体(木星・土星・天王星・海王星・冥王星)がほぼ逆行している、というものがある。

麗子さんとのやり取りは、衝撃ばかりだった。おおよそ自分が生きてきた道のりと逆だ。逆なのにも関わらず、結論が同じだった。麗子さんと出会った当時、わたしはいわゆるバリキャリで、地方都市の会社員生活の濁流にもまれ、その中から結論を導き出して生きてきたのだが、生きてきたそのさきに、12人の子育てに追われながら生きてきた麗子さんにたどり着いた。会社で働く・家の中で子育てをする、、、どっちの道を通っても、結局同じところにだどりつくのかもしれない、と今では思っている。

おそらくわたしの通ってきた道は、そこそこ当たり前の道だと思う。世間とは逆行していない。統計を見ても普通の部類に入る。例えば、わたしの住んでいる都市のデータで、30代 前半女性の結婚の有無を数値で見ると、半数以上が未婚という結果になっているが、わたしもそうだった。

一方、麗子さんは12人のお子さんを産んでいらっしゃる。この時代に。まず、同じ道のりを歩いている人はいない。と思う。初産も早いが、最後の妊娠も遅い。また、子沢山と言っても、12人、、、。いない。いない(笑)。

わたしと逆だ、と思ったことの一つに、”友人とお金”の考え方がある。

ジュエリーデザイナー件職人をしている友人がいるのだが、わたしは、その友人からジュエリーを買うときは、たとえ友人であってもしっかりお金を払うし、また、友人にもデザインの提案や納期などをしっかりしてもらうように心がけている。友人だからと言って、おまけして、とは言わない。友人だからこそ、しっかりした仕事をして欲しいし、またちゃんと対価を払いたいのだ。

一方の麗子さんは逆だ。友人だから、お金は貰わないし、わたしも払わない。のだそうだ。衝撃である。友人のカメラマンに撮影をしてもらったそうなのだが、お金のやり取りは、なしなんだそうだ。

これは、プロとおかあさんの違いかもしれない。わたしはプロとして仕事をしてきた。そして、その技量で対価(お金)をいただく。一方、おかあさんの仕事は対価は発生しない。

でも、結論は同じだ。友人は大切だから。なのだ。友人のやっていることの価値をちゃんと理解したい、そして友人とずっと付き合っていきたい、だけなのだ。そこはおんなじなのだ。

また、「夢」について、みんなはどうだろう。わたしは夢は諦めないで叶えていくものだと思っていた。麗子さんは違った。「そもそも、『何を諦めるのか?』からでしょう。」と、さも当然に言われた時は、ひっくり返った。漫画スラムダンクのセリフではないけれど、わたしは「諦めたらそこで試合終了です」を信じて生きてきた人間だったので、12人ものお子さんを産むという圧倒的な成果を残した麗子さんの根本にあるものが、”諦めること”であったことに衝撃を受けた。「諦めてからが本当の試合です」ってことかな。

なんでなんだろう?といえば、麗子さんは社会天体が逆行しているから、行動が世間一般のそれとは逆行する。話していると面白い。なんで?と思うことばかりだ。その麗子さんは「おかあさん本舗」を運営している。運営していると言ってもどう考えても一人で楽しそうに名乗っている。って感じだ。プロおかあさんなんだって。

ああ、そうだよね。わたしもね、おかあさんなんだよ。でも、おかあさんになったからには、こっから逃げられないのよ。逆戻りできねえし。そしたらさ、仕事と一緒。プロです!っていうしかねえのよ。

会社で仕事をしているとき、わかったの。お客様から見たら、新人もベテランもおんなじ土俵なのよ。新人だから、、、が通用するほど甘い世界じゃなかったわけ。その仕事をしている以上、どーにかして、お客様に納得してもらえるように、自分で学んだり、ベテランさんに頼んだり、自分でのできることでやってかなきゃなんねーのよ。おかあさんも一緒ね。

そして、麗子さんのおかあさんのやり方、ほんと、やべえのよ。おおよそ世間のおかあさんとはズレてると申し上げていいと思う。

わたしね、お歳暮に5種類の卵を、たっぷりと、麗子さんへ送ったのね。お子さんも喜ぶだろうと。もちろんありがとう!ってお礼がきたわ。で、一緒に送られてきた写真は、ズラーっと並んだ、5種類のTKG。味の違いは?だったけど、みんな美味しかった!って。(多分、全部麗子さんが召し上がったのよ!)

わたしはこのズレに救われたのよ。みんなマリア様って完璧って思っていないかな。マリア様だったら、子供達が食べている様子を送るんじゃないかなって、わたしだったらそういうマリア様を想像するのね。

わたしの完璧って完璧じゃなかったのよ。単に、人から見たら美しいおかあさんをやっていただけ。5個も一気にTKGを食べられないけど、だからこそ、それがわたしへの最大のありがとう!なんだよね。

それで、わたし安心したの。ああ、わたしが完璧と思っていた領域に行けなくても、おかあさんをやっていていいんだなって思えたの。

というわけでね、なんも決まってないけど、麗子さんが好きだからって理由だけで、名乗ることにしたの。

おかあさん本舗 新潟支部

言ってるだけ。星読みしてるけど、星読みだけの記事はやめて、好きなこと書くようにしようと。それだけ決まった。

和を以って尊しと為す

麗子さんという12人のお子さんを産んだ女性から「はじめは”消す”のかと思ったのよ。そしたら違った。」と、教えてもらった。

これは、星読みの「月」の答えにつながっていた。月は、欠けてはいない。光が当たっていないだけで、そこには実態がある。そして、地球からは片側しか永遠に見えない。だから見えない部分を足そうとする方法で解決しようとしてもうまくいかないのだ。月は新月から満月を繰り返す。これは「変容」していると同じこと。だから、満ち欠け(欠損)は、変容への扉なのだ。

「消す」のは文字通り「新月」。でも違う。消したあと、満月へ向かう。変容する。

冒頭のコメントは恋に対するコメントだった。麗子さんの恋の相手は、妻に先立たれた男性だった。亡くなった先妻は、消えたくなかった。そら当然だ。でも、変わりたかった。変容したかった。理由は色々あるだろう。死んでもに魂は成長し続けるようだから。ああ、麗子さんが理解したんだ。その女性の気持ちをね。変容のお手伝いだ。

わたしは土地を相続した。先祖代々、というわけでもないのだが、わたしの祖父が購入した土地だった。祖父は何人かなあ?とにかく7人とかそれくらいの兄弟の一番末っ子だった。自分が家長になることを夢見ただろうな、と思う。

わたしの父は祖父より先に亡くなった。わたしが継いだ土地は本来は父が引き継ぐものだったと思う。でもそうならなかった。こうなったのには、訳がある。

祖父は40代で脳卒中で倒れ、半身不随になった。働くことができず、家にずっといた。そんなに動けないので、散歩などの外には出かけていたっが、祖父母の部屋にほぼ一日いることがほとんどだった。一方、父は、わたしが小学校低学年の頃、単身赴任で働いていて、家にはいなかった。

わたしの母と祖母は折り合いが非常に悪かった。嫁姑問題が家でも勃発していた。家の中は最悪な空気だった。これは今振り返ると、そうだった、という感じで、当時はこれが普通だと思っていた。

父性が不在の家で、母性が喧嘩している。条件を聞いたけで、子供にはあんまり宜しくはない感じだよねえ。というのがわかる。だからってどうすることもできないけどね。

祖父は自由に動けないこともあったのか、とても性格が捻じ曲がっていた。祖母や母をお手伝いさんのように扱っていた。祖母・母は疲れていた。父も疲れていたと思う。父は、直接、祖父の横暴に介入することはせず、間接的に横暴を止めていた。その一番が「墓」の問題だった。

祖父は、自分の墓を欲しがった。そして生きているうちに墓を買った。この行動がわたしは祖父は家長になりたかったんだろうな、と思う所以でもある。

父にはこれが横暴に見えたのだと思う。

一つはお金の問題。まだ墓はないのに、お金はどんどん取られるのだ。払っているのは自分。祖父は一銭も払っていない。生きているわたしたち家族が使うお金で精一杯なのに、誰のためにもなっていないもの(まだない墓)にお金を払う余裕なんてないのだ。

もう一つは継承者の問題だ。わたしは姉妹で家には男がいない。つまり跡取りがいないなのだ。墓ができても誰も守って行く人がいないのだ。

そんなこんなで父は墓をキャンセルした。祖父に内緒で。父は「死んだら、わからないんだから、別にいい」と言って、祖父にはいっさい話さなかった。まあ、言っても祖父は聞かないだろうし、それに父も祖父が反対したところで、墓をキャンセルしただろう。わたしにはっきりと「家を継ぐ必要はない」と生前言ったからだ。

また、子供の未来を考えた時、養子を迎えてまで存続させる意味のある家とは父には思えなかったのだと思う。子供の心を救ってくれたんだと思っている。

でも、家族ってつながってしまっているんだ。祖父はなんか理解していたと思う。だからこそ、父は先に死んだ。父はもう十分生きたと思ったが、祖父は解決していなかった。墓が消えたからだ。死んだらどこに行ったらいい?自分が生きた証(家長)は?でも父がそれを消した。

父には弟がいた。わたしから見れば叔父さんだ。叔父さんは父の文句を一つだけ言った。

「親父の墓を売ったのはダメだ。」

叔父さんの言い分もわかる。ただ、わたしは父の言い分もわかる。そして、自分の言い分もある。わたしは嫁いでいて、性が変わった。妹もだ。父が生前危惧したように誰も継ぐ人はいないのだ。ちなみに叔父さんも養子に出ていて、つげん(笑)。

そうなると「変容」しかなかった。共同墓地という選択。ちゃんとしたところを選んだよ。ちゃんと住職にもお願いして了承を得た。そして、このお寺のご縁は、父が亡くなった時にできたご縁だった。父は分かっていたんだと思う。だから、入れる場所を自ら引き寄せたんだよね。ありがとう。

そして、土地はわたしがついだ。これにも意味がある。

祖母は生前、わたしに言ったのだ。「家を守ってね。」それを後から聞いたわたしの母は、「聞かなくていい」って言っていたけど。わたしはこれが祖母の心からの願いだと思った。

そして、わたしのついだ土地には「家」が立っている。わたしとわたしの家族、そして母は住んでいる。

旦那がわたしに言ったことがある。「お義父さんは、わたしにお母さんを守って欲しそうだよね」。

というわけで、わたしは土地の上に立っている「家」を使って、母を守ることにした。家は女にとってとっても大事なんだよね、ばーちゃん。

麗子さんもこれと同じ手法を使ったんだよね。「墓」。死んだら墓って大事なんだね。麗子さんのお相手は、先妻と一緒の墓に入る。これで解決。先妻を消すのではなく、変容させる。執着を手放す。

そして、わたしの土地。多分、家族みんなの意見をそこそこまとめられたからわたしに巡ってきた。祖父が亡くなったのは、わたしと妹が面会に行ってからすぐ。特老で何年も過ごしてきた祖父。特にコロナになってからは誰も面会に言っていなくて、わたしにあった時は、涙を流した。

「和を以って尊しと為す」

仏教って、まあ、お墓よね。日本の仏教は聖徳太子様からなのかな?ありがとう。

「墓」という概念、サイコーよ。生きている人と亡くなった人の「和」を、墓システムを使って繋げられる。

でも、わたしにこれが書けた(欠けた)ってことは、これから墓システムも徐々に変容していくのかしらね。

今から 5年後・10年後 2032/2038 

今日突然、5年後・10年後をちゃんと考えてみ?みたいな波がきた。海王星が牡羊サインに入ったばかりだけれども、みたいな気分になったけれど、、、

海王星は、およそ11年後の2038年まで牡羊サインを運行し、その後、牡牛サインへ移行する。

天王星は、現在、牡牛と双子を行ったり来たり、今年の4月末で完全に双子サイン入りし、その後、2032年まで留まる。まあ、天王星の速度を考えたら、おおよそ5年後と言ってもいいかも(アバウトすぎやしませんか)。

海王星と天王星はわたしの星読みでは、パートナーなんですよ。ねじれ関係のね。海王星は夢、天王星は転機を担当していて、二つがうまく関係性を持てると、、、夢が叶いますわな!新しい世界に突入しますわな!

で、今年は海王星が牡羊で天王星が双子になるので、シンプルに星読みすれば、いやいや誘われた案件が夢への近道って感じでしょうか。つまりですね、乗り気でないものの中に真実が隠されているという、、、ああ、わたしの苦手分野ですわのう。。。今年の4月から、ちょっと今までの自分にない領域を冒険する必要がありそうですなあ。

つまりですね、今いる場所と全く違う場所に行く可能性が高いっつうことだ。職業や働き方、生き方がね。全然、答えになっていない感があるけど、、、。仕方ない。

海王星 牡羊サインへ

さっきネイタルとトランジットを重ねると、強いアスペクトがあることに気づいた。わたしはそもそも人生ハードモードが基本になっているのでそれほど感じてなかったんだけど、きつい配置だった。

トランジットの土星と海王星がネイタルの土星と180度になりながら過ぎ去っていっていたんだ。ここ数ヶ月かけてね。現在わたしのネイタル土星に対し、オポジションで、海王星は2度、土星は1度、先に進んだ。それでようやくこれに気がついたってわけだ。渦中の時はそれで一杯一杯だったんだな。

土星は課題を表す、ハードモードな印象が強いけど、個人的にはしっかり道を示してくれて助かる存在に感じている。一方、海王星は夢を表していて、個人的な解釈では、諦めると夢が叶うと読んでいる。

ネイタル土星のサインは乙女、トランジットの方は魚サイン。たくさんある夢の中からどれを諦めるのか絞り込んで、絶対的に必要な一手を導き出す訓練をさせられていたわけだね。自分の太陽の目的、つまりわたしがわたしのやりたい表現ができるようにサポートするためにね。

すごく、納得。

初めてスレッズでバスったの。昔の料理本を探している方がいて、その料理本がたまたま家にあったの。それで、表紙と該当ページ4ページ分をアップしたの。それがバズった。

で、それに気づいたのは夜中だったんだけど、著作権は知ってるのー?っていう意地悪な投稿が数件入っていてね。ネット検索したのかな、AI解説のスクショも丁寧に掲載してくださっていて。でね、考えたわよ。わたしは本当はどうしたかったのか。

わたしね、そもそも本を探している方にあげたかったのよ。でもね、SNS上でしょ?突然さ、いらないから本を送るよ!住所教えてって言ったらねえ。やばいし。それに、本当にその方が必要としている本なのか確証はないから、とりあえず返信したものだったのね。

あ、ちなみに、著作権には引っかからないと思うな。本のごく一部で全体じゃないし、写真の著作権しても、本のページの写真だとわかるトリミングにしている&解像度も低いしね(つまり転用はできない)。また、ごくごく稀にお皿などスタイリング小物に著作がある場合があるけど、写真に注意書きもないからクリアしてると思う(昔の本は今より著作しっかりしている印象。お皿などが作品で著作がある場合は、写真の脇にクレジットがある)。目的も書いたように、確認の意図が強く、もうけ目的でも誹謗中傷にも当たらない。個人の利用の範囲におさまると思う。

あとは、レシピだけど、、、正直、これが一番わたしの中でネックだったの。でも、調べたら、著作権はないのね。。。レシピの著作については無知でしたわ。でも、個人的にレシピに著作権をつけられるようになったらいいなあーって思った。この本を探している方もそうだけど、欲しかったのは本そのものよりも、「レシピ」でしょ。思い出のレシピでかつ今まで出会ったレシピの中で抜群においしかったって。ここでの価値は確実にレシピにあるのよ。著作が認められるとしたら、わたしの中ではレシピだけなんだよなあ。

というわけで、レシピの作者に敬意を評したかった、ということと、わたしはそもそも本をあげたったということがわかって、その投稿は削除して、直接メッセージを送ることにしたの。

これで、わたしのしたかったことの一つ目はクリアよ。本をあげたかったってこと。でも、もう一つあってね、著作権の件、ちょっとむかっときたのね。書き方に悪意があったの。知っていますけど、とは思ったけど、SNSの特性を考えるとね、、、そこに反論を書くのは、嫌だったのね、でもね、シャクだったのね。それにね、そこに反論を書くと、意地悪した人を喜ばせるだけでしょ。だから、こうして自分のブログに書くことにしたのねえ。

わたしのスルースキルもまだまだだなあと思いつつ、自分がむかっときたことを我慢せずに反論を書けたことは進歩だと思う。ちゃんと境界線、引けてるよ、海王星&土星よ。

さてね、海王星はついに牡羊サインへ移動ですか。土星との合まであと少し。。。そして、牡羊サインの海王星ってどんなんなんだろうね?推測はできるけど、入ってみないとわかんないなあ。

衆議院が解散した

高市総理になってから、私は総理や各大臣のインタビューや声明をしっかり見るようになった。いや、前から見ているのだが、前向きに希望を持って真剣に見ることができるようになったという表現の方が的確かもしれない。以前の首相や大臣らの配信は、見ていても、色々な意味で辛くて、動画での視聴が精神的にキツくなると、どなたかが書き起こしてくださった文章の記事を読むことで精一杯だった。

まだこのサイトを立ち上げる前に、noteというサイトで、岸田元総理大臣の政治のニュースに言及したことがあった。普段は政治のことなどブログ記事にしないのだが、首相官邸で息子が写真撮影をしていたものが流出した件について、あまりにレベルが低くて虚しくなり、スルーしても良いのだろうが、それをよしとする保護者(元首相ら)のニュースを聞き、あまりにも国民を舐め腐っていると感じ、物申さずにはいられなくなった。

こんなこともわからない保護者が一国の首相なのか。刑事罰に値するようなものではない。でもそれ以上にくだらない、くだらなすぎることだった。あの場所は、どんな風に使われていて、どんな歴史があるのか、など背景を知っていたら、あの行為はない。知ってはいるのかもしれないが、知っていたとしてあの行動をとったのだとしたら、本当にどうしようもない。

(まあね、、、星読みでも幼稚なことをして突破口とするっていうのはあるから、あの行為にも意味があったんだと思う。私はこの手のことに厳しくなりがちな傾向があるので、まあ、もう少し自分にゆるくあってもいいのかもしれないけど。)

さて、私の憂いが長くなったが、要は、今は、そんな憂いから解放されて、とても良い気分なのである。みんなが自分の能力を理解し、やりたいことを理解し、できることを真剣になっていることが画面越しにしっかり伝わってくるので、こちらも気分がとても良いのである。

”自分がやりたいことをやるために、みんなにコンセンサスをとってやっていく”

これは「個の時代」と呼ばれる風の時代の特徴なのかもしれない。

さてさて、衆議院が解散して、選挙になる。2月8日に投開票。今の流れで言ったら、普通は自民党が勝つね。国民はバカじゃないよ。ちゃんとわかってる。星もそう言っている。

星読みは 最上の 対処法

行き詰まった時は、上を向いてごらん。おみくじで「凶」を引いた時の対処法だったかな、なんかであった。上はあいているんだよっていう教え。地上では行き詰まっているけど、空を見上げてみると広がりがわかる。当たり前だけど、忘れがち。

実際に上を向くと、首が固まっていたりして、気持ちいーってなったりする。体が固まっていますよーっていうことで緩めるとそれだけで気分が解放されてうまくいく、そういう軽いケースから、諸事情で家庭(内)に押し込められ、社会(外)と遮断されていて行き詰まっているから、上を向く=外に出て働いてみますわ、というちょっとパワーのいるケースまで、様々に使える対処法であります。

いじめの対処法にもなるかも。学校という空間にとどまって解決しようとするのではなく、それより上を見る、学校外の広い社会に目を向けるという行為が必要っていう考え方。これも「行き詰まった時は、上を向いてごらん」の対処法が使える事例だと思っています。

この上を向く、の対処法において、今現在の人類最上のやり方が「星を見ること(星読み)」だと私は考えています。青空のさらに上、星のある宇宙、その宇宙の先は、私を含め、人類はまだわからないんじゃないかなと。だから、一番上が宇宙で、そこにある星を使った対処法が今の所、一番上と。

星読みは主に太陽系の星の配列を使って、事象を読み解きます。そうすると気がつけるんです。嫌だなと思うことも、辛すぎることも、星が全てそうなっているからー。星が動いているように、これも永遠ではなくて、新しい配置になるための通過点と。そして、星が動くように、自分も動く(行動する)ことで解決させていくことが大事なんだなって。

その動く(DO)ってことが、とどまるっていう動作の時があったり、闇雲に動けーっていう時だったり、色々な動作パターンがあるから、、、難しいんだけどね。いずれにしても、星を読めば、前に進むしか道はないんだけどね。

自分の自己肯定感?

現代においては、自己肯定感は高い方がよしとされている風潮がある。私の場合、自己肯定感が低い部分と高い部分とがある。「外に出て働くこと」に関しては、自己肯定感が高く、比較的に誰とでも対等に仕事ができる。が、一方、「家の中の仕事」に関しては、自己肯定感が異様に低い。そして、家事ができないから低いのではなく、できても低いのだ。

”家事なんて面倒なだけで、たいした仕事じゃない”と思っていて、一生懸命やっても、誰でもできることなんだからできて当たり前で、それやっただけじゃダメだよ、もっと他の有益な仕事に着手しないといけないよ、と心の中の私が話している。

一方で、”家事なんてたいした仕事じゃないかもしれないけれど、量は無限にあるし、質を求めれば底なしになる。それに家事は生活の土台になっていて、ここがしっかりしないと他のことも結局成し遂げられないから必須でできるようになったことがいいもの”と心の中の別の私が話している。

これのどっちが本物の自分かと言われれば、後者の方の考え方なのだ。じゃあ、なぜ前者のような考え方のような自分がいるのか、と言えば、それは私の母がそう考えていたからなのだ。母の考えが私に写っているからなのだ。

なぜこんなことが起こるのか、といえば、それは星読みでいう「月」の影響。勝手に発動するアビリティタイプの能力。月は好きで使えるようになるんじゃない、好むと好まざるに関係なく、勝手に獲得する。

月は太陽の出力を調整する。太陽は今世の目的(やりたいこと)だ。それをどのように感情面で捉えるのかがわかる。月は、主に、幼少期に発達し、自分を育ててくれた母、またはそれに準ずる人の考え方・育て方に起因する。

自分がやりたいことをする時、幼少期は自分でできないことが多い、誰かにできない部分を担ってもらわないといけないが、それを担ってくれていた人物がどんな反応をするのかで、自分の目的達成について、どんな感情が湧くのか理解できるのだ。

私の場合で説明すると、家事を面倒だけどたいしたことない、と思っているのは「母」なのだ。母は、ことあるごとに私にお手伝い(家事)をしなさいと言った。勉強するよりお手伝いが重要なのよ、と。子供の時は、なぜかそれがものすごく嫌で絶対に手伝いたくなかった。今ならその感情が理解できる、母は面倒くさいから、私にやらせたいと思っていて、でもそれを言えないから、もっともらしいことを言ってさせようとしていたから。嘘を見抜いていたんだ。

母が家事をめんどくさいこと、と思うようになったのも理解できる。母とそのまた母の関係、そして義理母との関係をみると、はっきりとわかる。(母は三人兄弟で上が兄二人の末娘、自分だけが家事を手伝わされていたらしい・義理母は家事が苦手で、というよりできなくて(汚部屋にしちゃうような人)、全て母が家事をしていたが、できないくせに文句だけは一丁前)

もちろん、家事はめんどくさいよ。私もそう思う。でも、それならそう言って私に手伝わせて欲しかったと思う。なぜなら、私は、こう思うようになってしまったからだ。

”自分がめんどくさいことは、誰かに最もらしい言い訳を言って、手伝ってもらわないといけない。でも、めんどくさいから嫌がられて、結局手伝ってもらえない。”

家事以外でも、雑用的な扱いを受けやすい仕事に対して、そう思って行動してしまう自分が出来上がってしまったからだ。

めんどくさいことは、ちゃんとめんどくさいと言っていいのだ。で、それで手伝ってもらえればありがとう、だし、そうでなければ(やらなきゃいけないことなら)、そうだよね、私、頑張る!しかないのだ。

また、これもわかるよね。母は外で働くことをとても大事に考えていた。それは「お金」が大事だと思っていて、外で一生懸命働く父をちゃんと支えていた。だから、仕事をやっている自分は自己肯定感がちゃんと高いのだ。

で、そういった感情の仕組みを理解したら、それでよし。新しい行動をしてそこで感じる、母という月ではなく、自分の月=感じ方を探しに行こう。

それが家事はめんどくさい(なんなら拷問かもな)、という連鎖にしてしまっていた、ずーとずーと前の、母たちからの鎖が切れるから。

結論:家事は尊い仕事だよ。外でお金を稼ぐことに負けない。