風の時代の歩き方

土の時代から風の時代になって、こうも変わるのか、と驚いたことは、飽きた時の対処法だ。

土の時代は、飽きたとしても、必要なことをしていたのならば、その場でとどまってなんとか遂行する方が良かった。時代のサポートが土エネルギーだったので、必要なスキルを身につけるためには、腰を据えて取り組むという姿勢を土がサポートしてくれていたのだ。

一方、風の時代は飽きたら、続けることが本当に難しい。新しい、自由という風エネルギーがサポートをしてくれているので、必要なことであっても、他のことに目がいく。腰を据えてじっくり取り組む、ということができにくくなっている。

この時代の性質を活かす必要がある。必要なことというのは必ずあって、やり遂げた方が良い。でも飽きてやり遂げられない時がある。すぐ飽きるなら、必要なことを細切れでやって、最終的に繋ぎ合わせて完成させる必要がある。

映画を見ていたとして、飽きてきたら、一旦止めて他の作業をする。それからまた映画に戻る。映画は集中力が切れると物語についていけない時がある。そんな時は連続してみることを諦める。そうやって最後まで鑑賞する。

風の時代に備えて色々やってきたつもりで、それはそこそこ活かされていると自負はしているけれど。これからは心配は置いといて、楽しむことが大事だな、とも思っているので、飽きたら次の楽しみを!をモットーにしばらくやってみようかな。

履いて寝るだけの小さな整体師 あしなか

「履いて寝るだけの小さな整体師 あしなか」を作れるようになりました。わたしに作り方を教えてくれた師匠は妖精が見える方で、あしなかに妖精を宿しているそう。わたしも妖精を宿したあしなかを作れるようになりたくて、あしなかの編み方だけでなく、妖精の宿し方まで教わりました。

わたしは妖精が見えないので、師匠に宿せているかのチェックをしてもらい、無事に宿せるようになったことがわかりました。

さて、あしなかってなんでしょうね。口頭で伝わってきているもので、わたしも詳細がはっきりとわからない、というところが実際のところではあるのですが、大病をしてからわたしの身体は(当たり前ですが)元気がなかったのですが、これを履いて寝たところ、調子が上向きになったのです。あしなかはタイトルの通り、履いて寝るだけで整体師の役割を果たしてくれるものなんです。

作れるようになったとはいえ、まだまだ見た目良く作ることができず、規定に沿ったものはできるようになったんですけれども。家族や友人のお誕生日に贈り物としてコツコツ作って上手になったらいいなあ、と思っています。

相手のためを思うならどちら? 

風の時代に入って、地球の歩き方が変わりました。

これまでは相手の悲しみに共感をする必要が大いにあったのですが、風の時代はその必要がこれまでよりもなくなりました。ちょうど傷ついている人に心無い言葉を浴びせろと言っているのではないのです。一緒に悲しみを共有したい、と思ったら心を通わせる。悲しみを共有したくないと本音でそう思ったら、共感をする必要はないのです。

悲しみを抱えている人もいつかは前を向いて歩き出さなくてはいけません。残酷なようですが、前を向いて動き出すのに必要なのは「情=共感」ではなく、単なる「行動」なんです。一緒に泣くだけ泣いたら、どっか別の場所へ移動する方が、早く悲しみから抜け出せます。

よく、こうした方がいいのはわかっているけど、なかなかできないの、という方も見かけます。(まあ、わたしもあるんですけど!)

この場合、できなくて当然だし、できなくもいいんじゃない?と、その方にいうのは、風の時代、ものすごくマイナスの行為であります。一見、いい人そうな対応なんですけど、最悪の対応と言わざるを得ません。できなくて当然、という共感まではいいのですが、できなくていいんじゃない、という提案をすることがNGなんです。相手は、こうした方がいいのにできないと言っているので、本当はできるようにしてあげる声かけの方がいいのです。できないままでいいよって、実は悪魔の囁きと同じです。

一足先に 7月7日のジオセントリックを読み解く

7/7 天王星双子入り

「わたし動けたんだー!!」という感覚。

鉛のように重たかった身体が変化する。

これでよかったんだ!という感情とともに。

身体に受けていた傷が喜びに変わる時。

好みが変わるってこういうこと。

あらゆることを、柔軟に気軽に自由に発想する。

これまでになかったような仕事、働き方、生き方を選択していい。

そしてそれを行動に移せる時代が到来した。

これまでになかった職業・職種、それを選択する際に必要なのは、

それを生み出したい!!という長年の夢、

それをしてもいいと自分に許可を与える勇気、

そして、それを実行しているときに、

自分の大切な人のためって考えすぎないこと、

あくまでも「自分がそうしたいから」すること。

他人の顔色を窺って、新しいことにチャレンジしないのは間違っているターンに入りました。

他責が通用しない世界に入ったってこと。

ただ、新しいことを選んだと言っても、大切にしなくちゃいけないことって

これまでとそんなに変わらない。

きちんと挨拶することとか、ご飯をちゃんと食べることとか、おおよそ人として必要なことをしていくだけ。

これまでの枠を飛び越えていく、やる気と勇気と前に進むパワー。

それがもたらされるちょっとデンジャラスだけど力強いタイミングです。

7月7日に向けて

ホロスコーパーkaoriの中で外せないイベントが7月7日に始まります。

占星術用語で「カスプ」、簡単に言えば「区切りの境目」の期間に入っていると思われるので、終わりと始まりがごちゃ混ぜになっているのが「今」です。

何が終わって何が始まるのかといえば、物の時代が終わり「コト=体験重視」へと完全に変わるということ。

風の時代に入って、物も行動も全てが「軽やか」な方向へ移りましたが、いよいよ天王星が双子サイン入りします。何がどうなるのか、しばらくこのカスプ期間で見極めていきたいと思います。

わたしの中で何がそんなに重要なのかと言えば、ついに私の「傷」が癒える時が来たからです!!!

それは、私だけではないんです。1980年前後に生まれたみなさんの傷が、かるーーーーーーーーーくなる時が来ました。

かるーーーーーい気持ちで日々過ごしましょう♪

25年5月5日 はじまり は おわり のとき

5月5日の星読みをしていきます。

宇宙からのメッセージは「より良い自分になりたいのなら、鏡にうつった自分を見て、直したいところを素直に直せばいい。」「その時に、鏡にうつった偽物の自分を直しても意味がなくて、自分自身を直すこと。」

重要なのは、鏡にうつった偽物の自分は、目の前にいる「他人」であること。他人を直そうとしても意味がない。きちんと自分が直せていれば、すぐに目の前の相手の反応が好ましいものに変わる。自分じゃなくて、相手(他人)を変えようとしている時は、相手の反応がいつもと同じ、変わっていないってこと。

もう何年、何十年と繰り返されてきたお決まりのパターン。いくら言っても直らないでしょ。と諦めて言葉にしていないこと、家族間、特に母子間だとたくさんあるはず。嫌なことじゃなくても、特段普通のことも、言葉にしなくても理解できちゃうなら、そのままにしていることも多々あるはず。日常生活の一コマ。洗濯物をたたんで置いておいたら、「ありがとう」と感謝してくれたら嬉しいのになあ。別に言われなくてもいいんだけどね。些細なことだし。みたいな小さなこと。

心の底の底から搾り出すような言葉。それは何かすごい言葉、詩とか内容が濃いものとか、そういった劇的なことじゃなくて、日常の当たり前に繰り返されてきたことの中から、本当は自分がこう思っていたことを搾り出すような言葉。

この時期、自分に何かハプニングが起こりやすい。自分のやりたいことに気づいたり、これまでできていたことがなぜかできなくなったり、体調を崩すなんてこともあるかも。そしてそれははじめてのことじゃなくて、前にもあったこと。

やりたいこと、前から気づいていたけど、まあいいか。普通に子どものお弁当を毎日作っていたけど、もう作る気が起きないよ、でも我慢してやらなくちゃね。具合が悪いけど、ちょっと休んでまた同じように頑張ろう。

いつものパターンで乗り切ろうとした時、なんでハプニングが起こるのか、心の底の底をのぞいてみて。特に母に対するもので。物理的に考えても、生まれた時から一番長く地球上で生きる時間を共有することになる母。その母からもらった生き方の中にヒントが隠れている。

5月5日頃に起こるハプニングは、新しい自分のはじまりを教えてくれる小さなキー。まあいいかでいつもやり過ごすことは、子どもの頃からの自分の「クセ」。単なる「クセ」なの。そんないつものパターンから抜け出したいなら、行動はいつもと変わらないかもしれないけど、その行動の目的を変えてみて。

やりたいことができていないのはなぜ?子どもの頃からのクセでできていないはず。それは考え方のクセ。できていないのはあなたに才能がないからできていないのじゃなくて、その才能を使う気がないから。子どもの頃はその才能を使っていたんだとしたら、すぐに使い始めて欲しいし、大人になってその才能を封印したとしたら、封印しちゃってたと気がつくだけでいい。

はじまりはおわりの時。終わるのはこれまでの自分と相手の関係。側からの見た目は変わらないけど、内側での関係は変わっていく。

それはあなたが変えようと思えばすぐに。

変えないでいたら、、、それはいつでもそのまま。

大きいことじゃないよ。日常で。

ただ、この地球は小さな日常の積み重ねでできている。だから、日常を直すと、結果劇的にたどり着く未来が変わるのさ。

・・

タイトル、すっごく当たり前なんだよね。

はじまりはおわりってさ、当たり前だよね、終わったからはじめるのって

でもね、終わっているのにはじめていないことってあるのよ。

akuma悪魔はいるの?

スピリチュアルに興味があってもなくても一度は聞いたことがあるはず、「堕天使ルシファー」。神様の隣にいて、最も輝いていた天使だったけど、傲慢、、、自分が神様になれると思い込んで、神様との繋がりを断ち、堕落した存在と私は理解していた。私がその存在に気づいたのはいつだったのかわからないけど、子どもの頃だったことは間違いないかな。

私は、一般的に「ダメだよ」と言われていることは、ダメと理解し、真面目にそれをしないようにする性質を持ち合わせていると思っていて、ルシファーの堕天物語に関しても、そうならないようにしてきた。

私が理解しているルシファーの堕天物語はこうだ。神様の隣にいて最も輝かしい存在だったルシファー。神様から、堕天した存在を天に戻すように役目をいただいた。その役目を果たす中で、「自分なら神様になれる」と思い、結果自分が堕天した。

「自分が誰よりも一番になれる」ルシファーはそう思ったんだろうか?私は「一番になれる」と思うことは悪いことじゃないと思う。結局、その思いがどこからきているのか、動機が最も大切なのであって、動機が素敵なものならば何も間違いはない。

ルシファーは『神よりすごくなれる』と思ったんだろうか。堕天を本当にしたのならば、本当にそう思ったんだろう。じゃあ、動機はなんだったんだろう。

その動機を私はようやく理解した。

ルシファーは堕天しているように見えていた。

でも、神様と一対一の関係において、ルシファーは一度も神様と離れたことがなかった。

ルシファーを含め、神様以外は、ルシファーと神様は切れていると見えていたと思うけど、神様からはずーっとずーっと見えていた。誰にも見えない細い細い細い頼りない糸で。

ルシファーは自ら地獄に堕ちた。動機は、、、

「神様から授かった役目を果たすため」

輝かしい姿で、堕ちた存在を戻そうとしても、これっぽっちもうまくいかない。少し考えればわかる。自分が何かしようとしてうまくいかないとき、不貞腐れる時がある。不貞腐れている時に、人生がうまくいっている人に「いいこと」を言われたら、嬉しいというよりは、ほっといてほしいとか、余計なお世話だよ!とか、反発しかしない。そのいい言葉がどんなに正しいことであっても、受け入れることが難しいんだ。

そして、自分と同じようにうまくいっていない存在とつるむ。そして、その存在の言うことを聞いてしまう。仲間になってしまう。深く深く入り込んでしまうと、どこかで抜け出した方がいいことがわかっていても、なかなか抜け出せなくなってしまうんだ。

だからできるだけ浅い段階で、いいことを受け入れた方がいいんだけど、できない。受け入れられないのには理由がある。個人的には、自分の「惨めさ」を受け入れることがなかなかできないからだと思った。自分のやりたいことができなくて、できている人を見ると、どうしようもなく自分が惨めになる。神様はどうして自分にその輝きの場を与えて下さらないのか。。。

困っている人を本気で助けたい時、外から助けようとしても助けることができない。内に入るしかないんだ。

溺れている人を助けたい時、陸から「こっちに来れば助かるよ」といくら叫んだところで、その人は助からない。誰かが水に入って助けなければ溺れている人は助からない。

ルシファーはきっとこう思った、

「堕ちた存在を天に引き戻すには、自分が堕ちないとできないんだ」

それがつまり、周囲にはこう見えた

「ルシファーは自らが神様になれると思い込んだ」

周囲からは完全にルシファーが堕ちたとしか見えなかっただろう。そうしなくちゃ堕天した存在はルシファーを信じない。

でも、最後にルシファーは気がつくんだ。

輝かしい存在の状態でも助けることができたんだって。

ルシファーは「堕ちることは悪いこと」って思って堕ちないようにしてきたけど、その考え方自体が「堕ちている」。

その「堕ちることは悪いこと」を自分が持っている限り、堕ちた存在はそれに反発する。輝かしい状態のままでも、堕ちることは悪くないってわかれば、輝かしい姿でもみんな理解してくれる。正確に書けば、伝えたい存在が受け入れることができる状態まで自分の輝きを調整することができるようになるんだ!

悪魔はいる。でもそれは自分が悪魔にしているだけで、誰かが悪魔なわけじゃないんだ。

ルシファーは神のそばに戻ったという。本当だと思う。

完全無欠の世界へようこそ。きっとこれが弥勒369の世界だと思う。