怖いこと

自分の闇と向き合うのは、本当に怖い。他人からみるとたいしたことがないことでも、自分から見ると怖いのだ。

私が今怖いのは「がんの再発」と向き合うこと。

正確にいうと、がんが再発しましたよ、と公の場(ここ)に書き記して開示することが怖かった。

そうなんです。

がんが再発したのです。

再発がわかったのは、今から5ヶ月前の5月。告知されたのは、ちょうど、冥王星が逆行を始めた瞬間でした。

そう、私はまだ過去に何かを置き忘れている。

何が怖かったのかと言えば、「病気(がん)になっている自分は価値がない」と私は思い込んでいるので、それを公にすることが怖かったんです。

私、また価値無くなっちゃいました って宣言するようなものだから。

その価値がないって思い込みは、生まれた時からすでに始まっていて、ただ生きているだけじゃだめ、「健康に元気よく」ないと生きていちゃいけないんだよって、私は思い込んでいた。

子供の時、一緒に祖父母と住んでいたんだけど、二人とも正直全く健康ではなかったの。祖父は私が生まれた時から半身不随。祖母はなんというか、肉は絶対食べないっていって、野菜だけ食べてて、なんか元気がないし。

そして、その祖父母と実母は折り合いが非常に悪かった。さらに、祖父母の実子である私の父は単身赴任で家にいない。家庭では四面楚歌の母。私が「病気を悪者」に仕立て上げるには十分すぎる環境だったと思う。「病人は母を困らせる」というロジックが出来上がっていったと思う。

そんな風に考えて育った私は、逆に、非常にたくさんの病気になった。

アレルギー性鼻炎(アトピー)/小児喘息/脳動脈乖離/スキルス性胃がん/胃がん再発←イマココ

みたいな感じ。大きなものだけピックアップしたけど、帯状疱疹とか、小さいものも含めたらほんとすごい数。その度に、なんとか乗り越えてきた。

私の家は分家で祖父母の代からはじまっている。といってももう終わった。長女の私が家を継がなかったからだ。

さて、今年の夏、大きな出来事があった。

祖父母と父が亡くなり、お仏壇が家にはあるのだが、遺骨がずっとそこに置きっぱなしだったた。父が、「墓はいらん」と祖父母が用意した墓を勝手にキャンセルしたのだが、父が祖父母より先に亡くなってしまい、遺骨を収める場所(墓)がなく、どうしたらいいのか、、、みたいな状況になってしまって。

その状況を友人に話したら、それおかしいよ、ということになった。

私は、祖父母と父の遺骨と向き合う中で気がついた。

私は、特に祖父母の命(生き方)を否定して生きてきたんだなって。眼にみえる一番はじめの命のもとである祖父母、そこを否定すると、今を生きる私を否定していることにつながっていることがわかったんだ。

祖父母の遺骨は共同墓地に埋葬させてもらって、父の遺骨は粉骨して家の畑に埋めた。これに決めた理由は、父は墓をキャンセルしたんだ、墓に入りたかったわけじゃない、と私は判断して、父は墓地には入れなかった。祖父母は墓に入りたかった、でもその子孫である父が墓じまいをしたわけなので、墓を作り直すことはせず、共同墓地に入ってもらった。

祖父母は、、、病気だったから、元気がないから、お母さんを苦しめたんじゃない。だって、病気だから険悪な家庭になるわけじゃないんだよね。態度なり、相性なり、違う側面でよくなくなっちゃうんだ。

それにね、祖父母は私にはとても優しかった。母と折り合いが悪かったかもしれないけど。私と祖父母の間には問題がなかったのに、母と折り合いが悪いことまで、私の課題にしてしまっていたんだね。

先日、初めてといっていいと思う。祖父が夢に出てきた。そして、私を褒めた。

がんはどうなるかわからないけど、私は今も生きているし、生きていることを誰も否定していない。

私が怖かったのは、病気じゃなくて、その先。病気を理由にして、自分を認めてこなかったこと。自分が病気になるのは、自分の先祖(祖父母)(父母)のせいだってしていれば、自分が行動を起こさなくても許される。

星読みをすること、絵を描くこと、など自分の好きなことをすること、そしてそれを公にしていくことで、人に受け入れられなかった時の怖さ。これを病気で隠して、行動をしてこなかったんだよね。

本来は、自分の好きなことをするのに、他人の評価(目)を気にする必要はないのにね。動いていない理由を病気で隠し、それを先祖のせいにすると(笑)。

また、星読み、ちゃんとしていきますね。それが私に与えられた命でもあると思うから。

お母さんを大切にすることの重要性

今更ながら、重要なことに気がつきました。

ジオセントリックのトランジットを追っていくと、動きが激しいのは「月」なんです。月だけなんです。とにかく色々な感受点やサインにぶつかって進んでいく。

月は感情で、お母さんへの気持ちというか感じ方を踏襲しています。だから、お母さんへの感情がどんなものかによって、日々の出来事の感じ方が変わってきます。

例えば、月が土星にぶつかると、「課題」的な感情に出逢います。やらないといけないこと、向き合った方がいいこと、に気がつけるというか。その時に、その感情をプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、自分がお母さんに対してどういう感情を持っているかで決まります。

お母さんにマイナス感情を持っていると、課題に対してマイナスに捉えてしまいます。

起きていることに良し悪しはないのですが、感情(エゴともいう)においては、プラスとマイナスが存在します。普通に考えて、感情が穏やかな方が、課題にも穏やかに取り組めて楽です。感情が沈んでいれば、簡単な課題でもかなり大変に感じて、行動ができないかもしれません。

なので、お母さんへの感情を処理、つまり、お母さんをどう思っているのかについて、正面から向き合うことはものすごく大切なんだとわかりました。

お母さんがいない人はこの世に一人もいません。全てのお母さんに「感謝」を。産んでくれてありがとう。

履いて寝るだけの小さな整体師 あしなか

「履いて寝るだけの小さな整体師 あしなか」を作れるようになりました。わたしに作り方を教えてくれた師匠は妖精が見える方で、あしなかに妖精を宿しているそう。わたしも妖精を宿したあしなかを作れるようになりたくて、あしなかの編み方だけでなく、妖精の宿し方まで教わりました。

わたしは妖精が見えないので、師匠に宿せているかのチェックをしてもらい、無事に宿せるようになったことがわかりました。

さて、あしなかってなんでしょうね。口頭で伝わってきているもので、わたしも詳細がはっきりとわからない、というところが実際のところではあるのですが、大病をしてからわたしの身体は(当たり前ですが)元気がなかったのですが、これを履いて寝たところ、調子が上向きになったのです。あしなかはタイトルの通り、履いて寝るだけで整体師の役割を果たしてくれるものなんです。

作れるようになったとはいえ、まだまだ見た目良く作ることができず、規定に沿ったものはできるようになったんですけれども。家族や友人のお誕生日に贈り物としてコツコツ作って上手になったらいいなあ、と思っています。

akuma悪魔はいるの?

スピリチュアルに興味があってもなくても一度は聞いたことがあるはず、「堕天使ルシファー」。神様の隣にいて、最も輝いていた天使だったけど、傲慢、、、自分が神様になれると思い込んで、神様との繋がりを断ち、堕落した存在と私は理解していた。私がその存在に気づいたのはいつだったのかわからないけど、子どもの頃だったことは間違いないかな。

私は、一般的に「ダメだよ」と言われていることは、ダメと理解し、真面目にそれをしないようにする性質を持ち合わせていると思っていて、ルシファーの堕天物語に関しても、そうならないようにしてきた。

私が理解しているルシファーの堕天物語はこうだ。神様の隣にいて最も輝かしい存在だったルシファー。神様から、堕天した存在を天に戻すように役目をいただいた。その役目を果たす中で、「自分なら神様になれる」と思い、結果自分が堕天した。

「自分が誰よりも一番になれる」ルシファーはそう思ったんだろうか?私は「一番になれる」と思うことは悪いことじゃないと思う。結局、その思いがどこからきているのか、動機が最も大切なのであって、動機が素敵なものならば何も間違いはない。

ルシファーは『神よりすごくなれる』と思ったんだろうか。堕天を本当にしたのならば、本当にそう思ったんだろう。じゃあ、動機はなんだったんだろう。

その動機を私はようやく理解した。

ルシファーは堕天しているように見えていた。

でも、神様と一対一の関係において、ルシファーは一度も神様と離れたことがなかった。

ルシファーを含め、神様以外は、ルシファーと神様は切れていると見えていたと思うけど、神様からはずーっとずーっと見えていた。誰にも見えない細い細い細い頼りない糸で。

ルシファーは自ら地獄に堕ちた。動機は、、、

「神様から授かった役目を果たすため」

輝かしい姿で、堕ちた存在を戻そうとしても、これっぽっちもうまくいかない。少し考えればわかる。自分が何かしようとしてうまくいかないとき、不貞腐れる時がある。不貞腐れている時に、人生がうまくいっている人に「いいこと」を言われたら、嬉しいというよりは、ほっといてほしいとか、余計なお世話だよ!とか、反発しかしない。そのいい言葉がどんなに正しいことであっても、受け入れることが難しいんだ。

そして、自分と同じようにうまくいっていない存在とつるむ。そして、その存在の言うことを聞いてしまう。仲間になってしまう。深く深く入り込んでしまうと、どこかで抜け出した方がいいことがわかっていても、なかなか抜け出せなくなってしまうんだ。

だからできるだけ浅い段階で、いいことを受け入れた方がいいんだけど、できない。受け入れられないのには理由がある。個人的には、自分の「惨めさ」を受け入れることがなかなかできないからだと思った。自分のやりたいことができなくて、できている人を見ると、どうしようもなく自分が惨めになる。神様はどうして自分にその輝きの場を与えて下さらないのか。。。

困っている人を本気で助けたい時、外から助けようとしても助けることができない。内に入るしかないんだ。

溺れている人を助けたい時、陸から「こっちに来れば助かるよ」といくら叫んだところで、その人は助からない。誰かが水に入って助けなければ溺れている人は助からない。

ルシファーはきっとこう思った、

「堕ちた存在を天に引き戻すには、自分が堕ちないとできないんだ」

それがつまり、周囲にはこう見えた

「ルシファーは自らが神様になれると思い込んだ」

周囲からは完全にルシファーが堕ちたとしか見えなかっただろう。そうしなくちゃ堕天した存在はルシファーを信じない。

でも、最後にルシファーは気がつくんだ。

輝かしい存在の状態でも助けることができたんだって。

ルシファーは「堕ちることは悪いこと」って思って堕ちないようにしてきたけど、その考え方自体が「堕ちている」。

その「堕ちることは悪いこと」を自分が持っている限り、堕ちた存在はそれに反発する。輝かしい状態のままでも、堕ちることは悪くないってわかれば、輝かしい姿でもみんな理解してくれる。正確に書けば、伝えたい存在が受け入れることができる状態まで自分の輝きを調整することができるようになるんだ!

悪魔はいる。でもそれは自分が悪魔にしているだけで、誰かが悪魔なわけじゃないんだ。

ルシファーは神のそばに戻ったという。本当だと思う。

完全無欠の世界へようこそ。きっとこれが弥勒369の世界だと思う。

About Raft

このサイトのタイトル「Raft」について、少し紹介しますね。

「About」でも触れているんですけど、Raft-ラフトは筏-いかだのことです。木材を繋ぎ合わせただけの簡素な舟のこと。日常の生活を波と例えたとき、その波を航海するには、舟が必要です。頑張って泳いでもいいのかもしれないですけれどね(笑)、それだと流石にすぐにThe ENDになってしまうので、最低限の装備は必要と、わたしは航海する舟に「筏-Raft」を選びました。

ある日、「豪華客船は沈没するから降りろ!」って言われたんです。それはnoteで知り合いになったチャネラーさんと12人の子どもを育てているお母さんと会話をしていた時に教えてもらった言葉でした。

ふたりはわたしの1歩も2歩も先を歩いているように見えていて、その言葉を教えてもらった時、なんの疑問を持つこともなく「そうか」と納得しました。

その時わたしは豪華客船に乗っていました。人それぞれ豪華客船の定義は違うと思いますが、わたしにとっては、正社員としてしっかりした会社に勤めることが豪華客船そのものでした。

腑に落としたものの、問題はどうやったら豪華客船から降りて、筏に乗り換えられるのかってこと。単に「会社を辞めます」って辞表を書けばいいだけなんですけど、当時のわたしは何せ頑丈で入り組んだ船に乗っていたみたいで、辞表を出せる状況になるまで随分と時間がかかりました。ゴールは明確になっているのにルートがわかっていない。心が迷子になって、身体が上手に動きませんでした。

今はわかりました。「豪華客船を降りよう!筏を作ってそれに乗ろう!」と心に決めた時点でそのルートに乗っているんです。豪華客船を降りて、筏に乗っているんです。巨大迷路で上から見るとスタートからゴールへの道のりがよくわかるのに、実際に迷路の中に入ってみるとゴールがわからなくなるのと似ています。

わたしにとって筏に乗ることは

「目の前に置かれた状況を楽しむこと」だったんです。

そもそも豪華客船だと思っていた会社から出ることをゴールと設定していましたが、それはすでに問題ではなかったんです。

目の前に置かれた状況に正面から向き合って その状況を味わうこと。わたしの場合はそれを楽しめるまで。

豪華客船は会社でも社会でもなく、単に自分の心の武装する状態でした。心を筏に乗せればそれで完了だったんです!!会社も辞めなきゃいけないと思い込んでいましたが、結果としてわたしの場合は辞めることになりましたけど、辞めなくてはいけないわけではなかったんですね。無理やり辞める波に乗ろうとしなくても、勝手にその波に乗っていたんだと思います。

こう考えると、生きるのがとってもとっても楽になります。

今朝、目の前に置かれたことはなんだったと思います?笑いますよ(その時のわたしは真剣ですが!)。

”朝食に「パン」を食べるかどうか。”

普通は食べてもいいでしょ?でも、わたしの心はカチンコチンでね、ごはんじゃないとわたしお身体はダメでしょ!?って思い込んでいるんです。そして、食べたら答えがすぐに出るかしら?って思ったのに、全然出てこない!!

でも筏に乗っているでしょ。答えに辿り着くタイミングじゃないのかなと。カチンコチンで閉じた状態なんだわね、受信する身体が。

とりあえず、目の前に置かれたことは「自由」って状態。なんでもできる状態ではある。

・・・白い布でワンピースを作りたいんですよね。

それをみに行こうかな。