私の星読みでは、30歳未満の方からのご依頼はお断りしています。30歳までは、自分で自分の太陽を輝かせるために一人で頑張る期間だから、と解釈しているから。私は33歳頃までに太陽が完全に輝くと考えています。30歳から33歳までの期間は、多少のアドバイスがあった方が有益なケースも多いかなと、自分の経験を踏まえて考えていて、このような設定にしています。
さて、前置きが長くなりましたが、私のところへ来てくださった依頼人との間で起きた出来事を事例集として書き綴ることにしました。最初に紹介したいのは、前世の記憶を持っているという女の子から依頼です。
この女の子は、当時28歳でした。結論から書くと、その女の子の星読みはしていません。そう、その時は解決できなかったのです。その時、解決できるだけの力が私にはなかったのです。
そして、現状、その女の子の問題が解決できているのかは、知ることができません。今の連絡先を知らないからです。じゃあ、なんで事例集として書くのか?といえば、依頼後、数年経ち、私が成長することで、その女の子の問題を一部理解できたからです。私の中で完結ができたから。
私の星読みは、その時に完成するのはではなく、時間をかけて解決していきます。
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その女の子書いている文章は、とても気持ちの良いものでした。まるで温かい海の中にいるようで、身体がリラックスでき、要らないモヤモヤな気持ちが包み込まれて、浄化されていくような感じ。そんな不思議なオーラを纏った女の子でした。
文章が与える印象とは裏腹に、その女の子はとても大きな「問題」を抱えていました。人に話しても信じてもらえようなこと。変な娘、頭大丈夫?と言われてしまいそうな。彼女は、今を生きているけど、心は今ここにはなくて、過去の問題で頭がいっぱいのようでした。
過去といっても自分のこれまで生きてきた過去ではありません。歴史上の人物「茶々」の抱える心の問題でいっぱいだったんです。彼女は茶々の記憶を抱え、過去から続く心の問題に悩まされていたのです。女の子は自分の前世は茶々だと信じていました。
「茶々」とは誰か?私より詳しい方もおられると思いますが、簡単に紹介すると、戦国武将、織田信長の妹、お市の方と、戦国武将、浅井長政との間に生まれた女性です。ネットにもたくさん資料がある方のようなので、調べればすぐにどんな人生を歩んだ方なのかがわかると思います。波瀾万丈な人生で、最期は、茶々と豊臣秀吉との間に授かったとされる息子、豊臣秀頼が、大阪夏の陣で敗戦し、一緒に戦っていた茶々はそこで自害したとされています。
戦国時代、武家に生まれた女性は、もしかしたら、例外なく、波瀾万丈な人生を送ったのかもしれませんが、、、。
さて、彼女の抱えている悩みは「恋愛」に関することでした。彼女の恋愛が周囲にたくさん迷惑をかけてしまい、それが心のこりのようです。
私が彼女とのやり取りで、心に残っている問題は、三つあって。
一つ、愛する人につけられた心と身体の傷。
一つ、妹の江(ごう)に、申し訳ないことをした、という後悔の念。
一つ、母親(お市の方)が、今世、自分(茶々)を産む前の事故の意味。
この三つ。
それで、今回解決できたのは真ん中の、
「妹の江(ごう)に、申し訳ないことをした、という後悔の念。」
についてです。
彼女(依頼人)が言うには、茶々は、何度か結婚をしますが、心が結ばれていたのは、徳川家康だったそうなのです。そして、徳川三代将軍「家光」は、自分と家康との間にできた子供だ、と言います。
現在、習う歴史では、家光公は、二代将軍「秀忠」と、茶々の妹である「江」との間に生まれた子供と教わります。なので、私も話を聞いた時、頭には「!」マークが点灯しました。
皆さんは聞いたことがありますでしょうか?二代将軍「秀忠」の長男と次男の世継ぎ争いについてーーー。
AIで検索をかけるとこんな感じで紹介されます。
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兄弟の性格と寵愛: 長男・家光(竹千代)は無口で病弱、対して次男・国松(忠長)は利発で聡明だったため、両親(秀忠・江)は国松を寵愛した。(名古屋刀剣ワールドより)
世継ぎ争い: 弟の国松を次期将軍に推す声が根強かったが、家光の乳母・春日局が徳川家康にこの状況を訴え、家康が嫡子(家光)の立場を明確にしたことで決着した。(国立公文書館より)
忠長(国松)の末路: 将軍となった家光と、母から寵愛された忠長(国松)の対立は続き、最終的に忠長は家光によって改易され、のちに自刃に追い込まれた 。(Wikipedia)
この兄弟の対立は、江戸幕府の安定のために「兄(家光)が継ぐ」という秩序を家康が強固にした歴史的なエピソードとして知られています。(和樂webより)
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このように紹介されます。私の頭が「!」になった意味もわかっていただけるかと。彼女の言う通り、家光が茶々と家康の子で、国松が江と秀忠の子であったならば、、、
一見すると、徳川将軍「家康」が徳川家を安泰にするため(世継ぎ争いが起きないようにするため)に、「長兄が継ぐ」とルールを作ったという、強い組織の好例みたいな捉え方をされますが、、、とんでもない話です。
(家康の)ただのわがままです。
好きな人(茶々)との子供だけは異様に可愛いから、守りたい、という、おおよそトップ(公)に立つに相応しくない判断です。
ぶっちゃけ、もうろくジジイの気狂いじみたお願いです。。。
ここまで言う必要はないのかもしれませんが、あまりにも、秀忠、江、国松が不憫です、、、。
そら、江は、家光じゃなく、国松を可愛がりますよ。と言うより、自分の子供の面倒をみただけでしょう?家光を寵愛しないも何も、、、。家臣達だって、国松が世継ぎだって、思いますよ。だって国松は二代将軍、秀忠の子供で、家光は家康の子供であれば、立場としては、秀忠と同列ですから。
ただ、そもそも、彼女(依頼人)の言っていること(家光は茶々と家康の子)が本当なのかどうか?という部分は、ちゃんと精査しなくてはなりません。彼女(依頼人)が嘘をついているようには全く見えないですが、残っている歴史と異なるため、真実なのかどうかを自分の中で検証して納得をする必要があります。
「嘘」には力がありません。「真実」には力があります。残るんです。だから、家光は茶々と家康の子であるというサインが、地上のどこかに残っているはずなんです。
これを探すのに、私は時間がかかりました。
何度目でしょうか。日光東照宮に複数回赴き、ようやく気がつきました。日光東照宮は徳川家康公の墓所です。そのすぐそばの日光山輪王寺が家光公の墓所になっています。日光東照宮と日光山輪王寺の間には日光二荒山神社があります。

日光二荒山神社の御祭神は、二荒山大神(ふたらやまのおおかみ)で、親子三神が祀られています。
父/大己貴命(おおなむちのみこと)・母/田心姫命(たごりひめのみこと)・子/味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
です。徳川家康(父)と家光(子)の間(中心)にいる神様達は、家族でいらっしゃるのに、徳川家康(父)と家光(子)には、一緒にいてしかるべき母の存在がありません。
母が欠けてしまっているのです。
そう、母は「江」ではないのです。歴史上ではそうなっていますが、事実は違う。だからこそ、ここに母はいないのです。残せなかった。
これが、地上に残った真実。私の中で納得できました。彼女(依頼人)の言っていること、家光は茶々と家康の子である、これは真実だって。
残った歴史で、秀忠と江を家光の母親としたのには、そうした方が都合が、色々と都合が良かったのだろうと思います。周囲(家臣や世間)を納得させるにはね。
でも、江には本当に酷いことをしたよね、、、。だって、国松の最期をみたら、、、。
ほんと、申し訳ないけど、、、
「死ね。家康。」としか言えんわ。
茶々に関して言えば、、、母として残らないことで、償いをしたんだろうなーと思います。切ねえ。
やっぱり、、、「死ね。家康。」としか言えんわ。
(茶々は喜ぶと、家康は思ったのかもしれないけどね。)
さて、となると、私がするのは、、、
徳川家康と浅井茶々の星読みですわな。運命としてどうだったのかって。
でも、、、茶々の生年月日がわからないのですよ(とほほ、だよね)。
きっと、、、残り二つの問題が解決したら読めることでしょう。

