大袈裟にしない

最近になってようやくわかったことがある。大難を小難にするメリットに。若い時は大きな成果を上げることに憧れがあったから、何でも大きくしたいという欲求があった。

でも、年齢を重ねて、恋愛も仕事も体調も、酸いも甘いも、を多少経験してくると、「大袈裟にすることのデメリット」にものすごく目が行くようになって、大きな成果より、日々の小さな積み重ねの方を大切にしようと、自然にそう思うようになった。

もちろん大きな成果は大切だ。でも、その大きな成果は、大きくなるまでの道のりがとても大切なのだ。手っ取り早く「大きな」成果を手に入れようとすると、土台が適当になって、大きな成果を手にしてもすぐに崩れてしまう。最悪、その崩れを回収できるだけのスキルが自分に整っていなくて、The ENDになることだってある。

わたしはこれを「病気」で体感して、取り返しがつかなくなる前に、ちゃんとした方がいいんだなと当たり前に思った。

そもそも、わたしが大きな成果を必要だと思い込んだことも問題だ。わたしがそう思ったのは「父がそうだったから」なのだ。

父は「稼がなくてはならなかった」。それが父の至上命題だったと思う。まあ、わたしは父ではないいので、父自身がそう思ったかはわからないが、わたしからみた父の行動はそんな感じだった。

40代で半身不随で働けなくなった自分の父(わたしにとっては祖父)と母を養う必要があったから。もちろん、自分の家族(母・わたし・妹)も当然に養う必要があるため、とにかくお金が必要だったと思う。朝から晩まで働いていて、家にはほとんどいなかった。

そのことを長女のわたしへは、進学や就職などの折々に、暗に示唆していたと思う。で、わたしは父が好きだったので、それに対して不満も何もなかった。生き方はそうやって選び、学んだと思う。

それでいうと確かにわたしは「お金」という大きな成果を手に入れたと思う。自慢できるほどではないが、生きていくだけの困らない稼ぎ方(働き方)とその使い方を学べたから。

でも一方で、そのお金の成果は、わたしのやり方ではなかったのだ。

それは父の稼ぎ方であったのだ。

父のやり方で稼ぐと、男の身体(肉体)ありきのやり方になる。女の身体を持つわたしにはきつかった。独身でかつ若い時はまだ良かったけれど。これじゃないんだ、と病気になってはじめて気がついた。

(もしかしたら、父のやり方でもなかったのかもしれないけれど、父も平均年齢よりもかなり若く亡くなったので。)

それで今は、自分の身体や性格、持っている能力にあったやり方を模索している。そして、大きな成果じゃなくて、自分の成果を探してる。

まずは「大袈裟にしない」ということ。だってわたしには、養う必要がある祖父母はもういないのだ。父よりスピードを落としてなんの問題もないからね。

大袈裟にするのは、木星が得意。大袈裟にしないのは、土星が得意。

土星が牡羊サインに最近移動した。未知の世界へいくときに、スモールステップを意識して、何度も何度も小さな一歩を踏み出す勇気を使うこと。これが今は大事だね。

勝ちたい

わたしは天秤サインに強い部分がある。火星と冥王星が天秤サインにいるのだ。6度違いで、合に近い。だから勝ち負けにこだわるというか、”人によく見られたい=スマートでカッコよくいたい”という気持ちになりやすい。3ハウスにあって、ICの近くにあるので、”そう思ってしまう”という感覚になる。

これは欲望としてあって、無くそうとしても無くなるものではない。感受点がここにある以上、勝ち負けになんて拘らないわ!と宣言してみたところで虚しいだけなのである。あるのにない、としていると、あることに気づいてもらおうと頑張るから、もっともっと強い欲望として現実世界が形成されていく(笑)。

ただ、私は勝ち負けで勝つことが嫌いだった。負けることは、当たり前に嫌いなんだけど、勝つことも嫌いだったのだ。理由は、子供の頃の経験にある。勝つと近くの人は、喜ぶよりも嫉妬するのだ。勝つと大人は喜ぶけれど、子供、つまり友人はあまり喜ばない。同じ立場、レベルと言っていいかな、そこにいると思っているから、賞賛を浴びる立場に自分が同等かそれ以下だと思っていた人が立つと、嫉妬されていじめられるか、場合によっては無視されるかなどになる。勝っても寂しい思いをすることが多かった。

これも、今ならわかるんだよ。わたしがそうだったからなんだよね。私が本当は「勝ちたい」し、「友人とも仲良くなりたい」から、いじめられたし、無視された。

わたしが友人に嫉妬することももちろんあって。わたしの方がふさわしいと思っている場所に友人が立つと、本当に悔しいのだ。わたしでもよかったはずなのに、なんでわたしじゃないんだって。で、自分がそこに行けるように頑張ればいいんだけれど、その頑張りを友人を陥れるという行為で叶えようとしてしまう。そっちの方が手っ取り早く自分の欲望を満足させられるから。「陥れる」ここまでやる人は少ないかもしれないけど、「負け惜しみを言う」と言うことは、これにあたる。

自分が負けた、という精神的ダメージを、勝った友人を下げることで、自分を持ち上げ、欲望を叶える。浅はかなんだけれど、そうしてしまった。ごめんなさい。と今は思う。当時も気づいていたけど、気づかないふりをしていたんだと思う。

これはイソップ物語の「酸っぱいブドウ」の話に出てくるキツネそのものだ。あんまり気持ちの良いものではない。でもあるんだよね。わたしの中にあのキツネ。

キツネはどうするかな?ブドウをもう一回とりに行こうかな。今度は知恵がついて、道具を使ったりできるし、ブドウに手が届く仲間に、鳥とかね、お願いすることだってできるから。わたしの過去で言ったら、鳥に「わたしもあのブドウが食べたいよ、わたしの分も取ってくれない?」って言うのが正解かな。

取れたとしても、本当に酸っぱいブドウで食べれたもんじゃないかもしれないんだけどさ。でもその結果はどうでもいんだよね。それよりも、気持ちのいい形で、欲望を満足させられる勇気が大事で。この時の勇気って、自分ができないことをできている人がいるという現実を受け入れて、それが欲しいなら、人にちゃんとお願いする勇気を持てること。

落ちる勇気と人にお願いする勇気。

前者は自分の中で腑に落とすこと。後者は明るく気軽に出していこと。

これができたら、もっと生きやすくなるんだけどなって、思って頑張ってみる。そしたら、勝てるからさ。自分の欲望にね。勝ちたいのよね。わたしね。

月は満ちる

月は満ち欠けする。だから、かけた部分のことを「隠れる」と私は表現している。反対に、全てが満ちる瞬間もある。それは、隠れるところがない、隠すところがない、あけっぴろげ、みたいな感じで、私は解釈している。

衆議院選挙の結果が出て、ようやくひと段落した感じがする。昨日、無性に疲れているなあ、と思ったのだけれど、選挙の影響もあったのかな、と。世間は結構選挙で盛り上がっていたというか、殺伐としていたように思う。街に出れば、選挙カーが大声で宣伝をしているし、家にいても選挙カーがやってくる。テレビをつければ、選挙。ネットも選挙で盛り上がっていたと思う。

これ、「戦いくさ」なんだよね。現代のね。そりゃ、疲れるわ、、、。と、ようやく気がつきました。

夜中に目が覚めて、ふと窓の外を見たら、綺麗な月があってね。下弦の月で、新月に向かっている。これから、変容のターンに入っていくから、、、もれなく何かが変わるんだろうな。

私は、月が嫌いだったのよ。不安定だから。気持ちがいい時はいいけど、悪い時、最悪だし。いいと悪いを行ったり来たりするのが嫌だったの。

一番嫌だったのは、「自分」じゃなくて「おかあさんの感情(=月)」に振り回されるのが嫌だったんだなって、今ではわかる。子供の時はみんながそうなんだってことは理解できるよ。自分よりおかあさんの感情を優先する。

今日は家で遊びたいな、って思っても、おかあさんに「子供は外でお友達を遊ぶのが一番いいの」と何度も言われ続けると、おかあさんの顔色(感情)を伺って、自分のやりたいことを諦める。

思春期になると、そこでちゃんと反発ができて、自分の感情(月)を優先させて、自分のやりたいこと(太陽)を使っていくことができ、それが自立になるんだと思う。

私はこの自立が上手にできなかったな、と今でも思うし、もしかしたら、ずっとこれは残るのかもしれないな。

私の場合ね、今思うと、反抗ができる家庭ではなかったのよ。前にも書いたけど、父は単身赴任でいないし、祖父は半身不随でお世話必須の生き方で、祖母は家事が上手にできない上、嫁いびりはしてたし、そこで生きている母は常に感情が非常に悪い感じになっていたよ。

私が反抗すると、母はより悪い感じになるだろうから、その選択肢は子供の私になかったんだろうな、と思う。この生き方、つまり他人の感情を悪い方に刺激しない、という術は、社会に出てからも抜けなかったから、ほんと、厄介は厄介なのよ。

それがすごく嫌だったんだけど、最近ようやく、母の月(感情)の尻拭いをやめよう、と思い、それを行動に移すことができて、自分の月(=感情)を好きになれてきたと感じていてね。

具体的には、ご飯を作ること。前は、老齢の母を気遣う食事ばっかり気にして作っていて、つまり母の顔色を伺っていたんだわね、夫や息子(小学生)のご飯は後回し、、、。

育ち盛りの子供の食事と老年の母の食事は違うんだ。それ、母もやってきたんだから、大変なこと、知っていることなんだけどね。

母は「気にしなくていいよ」って言うんだけどね、しなくていいとは言わないし、行動には移さないよ。ここが母親のずるいところだな、と今でははっきりわかるよ。ほんとに、子供のことを考えていたら、口だけでなくて、行動で示すんだよ。「受け取らない」っていう選択を行動で示すの。でもそれはしない。罪悪感はあるんだと思う。だから口だけはいう。

でも、私も悪いんだ。嫌なのに、ご飯を作っていたからね。だから、もうやめた。ものすごく罪悪感を感じたよ。最初はね。でも今は、罪悪感もありながら、自分の月(感情)が安心しているのがわかるの。母の感情の受け皿をやめたら、自分の感情を受け取れるようになったからだと思う。

まあ、その罪悪感も人としては、必要なものなんだろうな。ブレーキとして。必要以上に人を壊さないための。そして、この罪悪感、私は宗教的な思想から発すると思っているよ。おかあさんを大切にしないとダメですよっていう、宗教的な思想。宗教とは上手に付き合えるといいな。

自分の月がわかると、満ち欠けも大丈夫なんだよ。人のじゃないからね、下がっているなら、下がっているなりに対処できるんだね。発見だったわ。

隠れても、あけっぴろげでも大丈夫。

傷があったとしても

傷ができたら、できてもいい。人間である以上、完全無欠なんてあり得ない。

だからと言って、自分を始末に扱っていいわけではない。

また、わざと傷つけるつもりで扱うのも違うし

かと言いって、傷つくのを恐れすぎることも違う。

でも、その匙加減はわからない。傷つけているつもりはないけど傷ついていたり、つくはずのない傷を恐れていることもある。

月は無意識で発達する。それは、生き方をすぐそばの母親ないし、保護者から引き継がれるということ。だから、知らないうちについた傷は、代々受け継がれてきてしまった傷である可能性が高い。

そのまま傷ついていてもいい。

その傷を癒そう、と決めてもいい。

自分の無意識を探っていく強さがあるなら、傷を癒せる。

自分の月を覗くこと、そして、最終的に取り除くこと。

これができるといいと、私は思っているのだけど、月(母親)と向き合うのは非常に難しい。

自分のために、必要なものを買ってはいけない。

これは、私の中にある、無意識の傷。

私は、好きなものを買っていい。

私の母は、いつも私か妹の使ったものを使っていた。それが私に写っている。

それを母が前向きに使っていたのならいい。向き合うと、違うんだ。

単に、お金が減ってくのが怖かったんだ。貧乏は嫌だったのかな。

私も、ひもじいのは嫌だよ。きっと誰でもそうだろうけど。

私の場合、買えるのに、買わない選択をする。これがとても辛い傷になっている。

月は隠れる

一つ前のブログの流れから、日本の神話からもう一つ。月詠(ツクヨミ)のお話。

月詠は隠れちゃうのよね、嫌なことがあって。(あ、もしかしたら、普通はアマテラスって認識かも。)天岩戸閉めちゃってね。篭っちゃう。そうすると、世界が真っ暗になるのね。

まるで、子供が自分の部屋に閉じこもって、誰も入ってこないでってするみたいに。

子供がそうなると、お母さんも場合によっては悲しくなっちゃう。家の中で、母性性が隠れちゃうと、じめーとして、みんな楽しくないのよね。父性性が輝いていてもそれを受け止める月(母性性)がジメジメだと反射しねえのよ。

神話では、岩戸の前で、裸踊りやらなんやらで、無理やり楽しくお祭りして、戸を無理やりぶん投げて、引っ張り出してって、、、なんとか無理やり出て来させることに成功する。

でも、個人的には、、、あまりいただけない。

戸を開けるまでは、まあゆるそう。そこから出てくるのは、月詠次第にして欲しいかな。要は、月詠の気分に合わせるっつうかさ。大体、そこまで拗れてると、最初に閉じこもった理由なんて?なのよ。そこから出てくる時には、いろいろな手があっていいのよ。

・・・まあね。その方法の一つが”無理やり”だったんだろうな。

月のパートナーって「冥王星」なのよね。星読みだと。だから、冥王星の爆発的パワーで月を優しく出てこられる案を提案できまくるのよ。冥王星ってカオナシみたいな感じで、なんでもできるの。

戸を開けっぱなしにしてほっておく/おいしいにおいを充満させお腹を空かせる/遊園地に誘う/ダメだけど、お金で釣るってのもあるか、、、

どれを月(母性性)が採用するかはわからないけど、気持ちよく母性性を発揮できる世の中になるといいよね。

月詠が嫌だったことは、好きな人にされてとても悲しかったことなんだよ。好きな人は良かれと思ってやったんだけどね、それで傷つくこともあるよね。

それが完全に癒えることはないかもしれないけど、それを認めて前に進むことはできるよ。そして、隠れながら=立ち止まりながら でもいいんだよ。

月と鏡と太陽と

騎士道ってあるよね。ここでわたしが書いていく「騎士道」って、ヨーロッパの方の絵画で、”王妃(王女)様が剣を持って立ち、ひざまづいた騎士の肩に剣をおく”という構図に込められた想い、これが騎士道。王妃様の力(想い)を胸に、国・民衆を守り抜く覚悟ってところかなあ。

日本にも神話であるよね、倭姫命が草薙の剣をヤマトタケル=大和武尊に渡し、東方遠征に向かう伝説。ここで言いたいのは、草薙の剣の形や切れ味とかの品質の面ではなくて、その剣に倭姫命が乗せた「想い」の方ね。これをどうやら「妹の力」というらしいのだけど。ヤマトタケルはこの剣と共に戦い、剣をなくすと死ぬ。すごいパワーよね。

騎士道と妹の力ってのは、結局同じことを表しているというか、一心同体なんだよね。どっちかだけだと成り立たないし、さらに両方”いい感じで”揃って、たくさんのものや人を守るパワーになる。

想い(妹の力)が歪んでいれば、力がおかしな方向、例えば、殺戮みたいな感じに、騎士道は動くだろうってこと。想いの部分を純粋にまっすぐにすることって難しいよね。

月ってあるじゃない?太陽で光っているのよね。とても美しく。夜を明るく照らすお月様。真っ暗い夜も月明かりがあれば安心。種から芽がでる時に必要なのは日光ではなく月光なんだそうなんだけど、月っていうのはそういう役割があるよね。

星読みで月は母親や子供を表すんだけど、まあ、女性性(母性)だよね。これがね、まさに妹の力なのよ。太陽は騎士道で、パワーよ。力の源。男性性(父性)を反射させて、弱いものを守るの。小さいものの発芽(若者の最初の一歩)を手助けするのよ。強すぎるパワーを和らげて、その人その人に合わせた出力にしてくれるのね。

だから、月はね「鏡」でもあると思ってるの。鏡=太陽を反射する媒体。自分の中にある男性性(父性)を映し出す鏡=月。鏡だから、反射してる。母性性は男性性の反射。

月には、新月ー上弦ー満月ー下弦ー新月っていうサイクルがある。太陽はいつも丸くて、だから男性性の出力は一定。でも、女性性は満ち欠けがある。鏡の向きは一定でなくていいのよ。揺れてるのね。だから、世界はいつでも揺れている。でも、大本は揺れていないで一定なのね。まるで、安心なゆりかごね。

騎士道とか東方遠征とか、でかいこと書いたけど、もちろんそれだってこの力だけど、もっともっと身近なものなんだよね。この、月は鏡で太陽を反射するパワーっていうのは。

そうだね、家族だね。おかあさんは揺れていていいんだよ。毎日、気分が違っていいんだよ。満月の日もあれば新月の日もあるの。それで世界(おとうさん)は安定しているのよ。で、いいタイミングで芽(子供とかね)がでるの。

海王星は夢

海王星は「夢」を担当している。魚サインの支配星(ルーラー)でもある。「夢」というものは、現実・リアルではないもの、である。手が届かないもの。夢が叶うということは、現実になったということ。そうなるとそれは海王星の持ち物ではなくなる。

わたしの海王星の解釈は少し変かもしれない。

海王星を使って夢を叶えようとする時、まず、その夢を諦める必要がある。海王星は夢であり、空想の世界。実在していない現実。それが海王星の持ち物なのだ。だから、現実に出現させたければ、海王星の持ち物でなくなる必要があるのだ。手っ取り早いのは、諦めること。夢を叶えることを諦めるのだ。

そうすると、もはや夢は夢でなくて、海王星の持ち物ではなくなる。

夢を諦めると、そこには現実しか残らない。それを淡々とこなすのだ。すると不思議なことに、夢だと思っていたことが突然にちゃんと現実に現れるのだ。