私のために

自分の考え方のクセってなかなか抜けないもので。

朝ごはんを作っている最中に夫に話しかけられて、すごく嫌だったのに(急いでいたから)、応対をしてしまった。

急いでいたとは言え、なんでそこまで嫌なんだろう。

そして、お腹が痛いことに気がついた。

”具合が悪くならないと、私は意見を言っちゃいけない”

という、思い込みがあるっぽい。

ここにもまた、私には価値がない、という考え方のクセというか、思いのクセが染み付いている。体調を崩すまで、私は進んでしまう。しかもやりたくないことにまで手を出して。

自覚している問題として、私は目の前の人の期待に過剰に応えようとする、というものがある。その人がどんな人であれ、その人が欲していそうなこと(して欲しそうなこと)を先回りしてやってしまうのだ。

それだけであれば問題ないのだろうが、私の場合、相手と自分の価値を天秤にかけた時、普通はどんな場合あれ「対等」が筋なはずなのだが、ほぼ100パーセント、相手のほうが価値があるという結果を無意識に選んでいる。

そうすると、自分のことを後回しにして相手に尽くすのだ。そして、体調が悪くなるまで頑張って、その時に初めて「ああ、これは間違いだった」と気が付く。

それじゃ遅いのだ。

もう一つ、思いつく問題がある。私は「身体が弱い」という刷り込みだ。これは子供の時からだと思う。前回記事の、月のアビリティで、母は私のことを「弱い」と思って接していたと思う。今思えば、ことあるごとに無理させないように促してきたような気がする。それが私に見事に乗り移っている。

多分、私は病気をたくさんしたけど、身体が弱いわけじゃない。身体が弱いことを理由にしながら物事を進めてきただけなのだ。

夫に話しかけられた時、私はすでにめんどくさがっていた。それは、朝ごはん作りが大変だったからじゃない。

夫は、趣味の用事があって出かける予定だった。別にそれはいい。でも、問題は、子供が虫さされが結構ひどくて場合によっては病院へ行かなくてはならなかったのだ。私は、具合がそれほど良くないので、できれば病院は避けたい。明日は休み。いくなら、今日しかないのだ。。。

でも、夫は行かない。趣味を優先させるだろうから。となると、私がもっと具合が悪くなって、夫が自ら行かないと、と考えてもらうしかないって、無意識に思っている。

早い話、交渉もせずに、相手が望むであろうことを先回りして想像し、勝手に自分の具合を悪化させているのである。

そして、私は今、ブログを書いている。家事をほったらかして。

私は家事じゃなくて、ブログを書きたかったんだ。昨日の時点では、この内容じゃなくて別な内容を考えていたんだけど(笑)。ブログを書くと、物事が前に進んで日常がいい感じに変わっていく実感があったから書きたかった。

「お母さん(月)」はなんでも知っている、、、。だって、地球(自分)を宇宙からいつも見ているから。

母は、私が身体が弱いから、無理させないように接してきたと書いたけど、違うのかもしれない。私が「無理して、我慢して、したくないことをして、他人を優先させているとき」無理をさせないように誘導してくれていたのかもしれない。

これは前向きな解釈だな。

ふふ。私はそんなにいいやつではないので、病気になれば自分のやりたい状況に持っていける、と無意識にラーニングしただけかもしれない。

そう、夫が趣味を優先させて、、、と不満が出ているなら、それは私が好きなことをしていないからだ。好きなこと、というか自分を優先させていない時なのだ。

具合が悪くなることで、状況を自分有意にすることをやめよう。

元気の良い時でも、交渉によって、自分のやりたいことを訴えていいのだから。

体調が悪いのも、病気なのも、これまでの自分が出した結果が戻ってきているだけ、、、。私は私の身体を私のために使っていないだけなのかもしれない。

自分で自分を支える

私が再発した癌に限らず、大なり小なりどんな病気でも、治すときにはどうやら自分の許可がいるらしい。病院の先生に治療をしてもらうにせよ、その治療が効くかどうかは本人次第、ということである。

私は「自分自身」を全く信用していなかったと思う。才能があるとか価値があるとか、そういう以前に自分がそのままで生きることを許可していなかったから。

「怖いこと」で書いた通り、ようやく自分の命を肯定できて、別に病気でも生きてていいんじゃん、私。ができるようになったわけではあるのだけれど、可能であれば、病気のまま生きているよりは、病気でなく健康で生きていたいのだ。だって、その方が楽だから。

ちなみに、私は胃がんですでに胃の全摘手術を行なっているので、身体に不具合は生じています。病気そのものが治っても、元に戻らない部分はあるのですが、そういった部分は時間をかけて慣れていくしかあるまいて、という感じで受け入れられています。半身不随の祖父は、毎日リハビリをしていましたが、自分の状況、まあ、「不幸」といってもいいかもね、それを受け入れて、個性にしていくような手段という感じでしょうか。

さて、病気を治すことには自分の許可がいる、と書いたんですが、この許可をどう出したらいいか、、、。もちろん口では言ってみますよ。「私の癌が治ることを許可します」って。言わないよりは言ったほうがいいのでしょうが、いかんせんその言葉に真実味が乗ってこないのです。

なんというか納得感がないと言ったらいいのかもしれない。例えて言えば、もう好きじゃないのに、無理やり「好きだよ」って言っている感じ。本心でないのよ。

それが、閃いたの!「私は、私が自立することを許します」って。私の本心はこれだって!

治すっていうよりは、自立する のほうが私にとっては真実だったの。

私は、自分が自立できないって思い込んでいたんだよね。それってなんでだと思います!?

そう、やっぱり自分の「お母さん」なんですよ。私が子供の頃見ていた母は、自分のことを本当に過小評価して、口癖のように「女(特に家に入った女性)は何もできない」というようなことを言っていました。もちろん行動にも現れてた(笑)。それを無意識にラーニングしていた私は、働いていない女性は自立してはいけない、と無意識に刷り込んでいたようです。

ええ、また、母の課題を勝手に引き受けていますね(笑)。でも、これしょうがないのです。母は星読みで「月」で表されますが、自分が意識しようがしまいが、月のパワーは勝手に発動しますから。月はアビリティなのです。

もちろん、良い側面も発動しています。無意識に。特に悪い側面に気づいたら、解除できるといいですね。

私は、私を支えることができました。ありがとう。おめでとう。感謝します。

怖いこと

自分の闇と向き合うのは、本当に怖い。他人からみるとたいしたことがないことでも、自分から見ると怖いのだ。

私が今怖いのは「がんの再発」と向き合うこと。

正確にいうと、がんが再発しましたよ、と公の場(ここ)に書き記して開示することが怖かった。

そうなんです。

がんが再発したのです。

再発がわかったのは、今から5ヶ月前の5月。告知されたのは、ちょうど、冥王星が逆行を始めた瞬間でした。

そう、私はまだ過去に何かを置き忘れている。

何が怖かったのかと言えば、「病気(がん)になっている自分は価値がない」と私は思い込んでいるので、それを公にすることが怖かったんです。

私、また価値無くなっちゃいました って宣言するようなものだから。

その価値がないって思い込みは、生まれた時からすでに始まっていて、ただ生きているだけじゃだめ、「健康に元気よく」ないと生きていちゃいけないんだよって、私は思い込んでいた。

子供の時、一緒に祖父母と住んでいたんだけど、二人とも正直全く健康ではなかったの。祖父は私が生まれた時から半身不随。祖母はなんというか、肉は絶対食べないっていって、野菜だけ食べてて、なんか元気がないし。

そして、その祖父母と実母は折り合いが非常に悪かった。さらに、祖父母の実子である私の父は単身赴任で家にいない。家庭では四面楚歌の母。私が「病気を悪者」に仕立て上げるには十分すぎる環境だったと思う。「病人は母を困らせる」というロジックが出来上がっていったと思う。

そんな風に考えて育った私は、逆に、非常にたくさんの病気になった。

アレルギー性鼻炎(アトピー)/小児喘息/脳動脈乖離/スキルス性胃がん/胃がん再発←イマココ

みたいな感じ。大きなものだけピックアップしたけど、帯状疱疹とか、小さいものも含めたらほんとすごい数。その度に、なんとか乗り越えてきた。

私の家は分家で祖父母の代からはじまっている。といってももう終わった。長女の私が家を継がなかったからだ。

さて、今年の夏、大きな出来事があった。

祖父母と父が亡くなり、お仏壇が家にはあるのだが、遺骨がずっとそこに置きっぱなしだったた。父が、「墓はいらん」と祖父母が用意した墓を勝手にキャンセルしたのだが、父が祖父母より先に亡くなってしまい、遺骨を収める場所(墓)がなく、どうしたらいいのか、、、みたいな状況になってしまって。

その状況を友人に話したら、それおかしいよ、ということになった。

私は、祖父母と父の遺骨と向き合う中で気がついた。

私は、特に祖父母の命(生き方)を否定して生きてきたんだなって。眼にみえる一番はじめの命のもとである祖父母、そこを否定すると、今を生きる私を否定していることにつながっていることがわかったんだ。

祖父母の遺骨は共同墓地に埋葬させてもらって、父の遺骨は粉骨して家の畑に埋めた。これに決めた理由は、父は墓をキャンセルしたんだ、墓に入りたかったわけじゃない、と私は判断して、父は墓地には入れなかった。祖父母は墓に入りたかった、でもその子孫である父が墓じまいをしたわけなので、墓を作り直すことはせず、共同墓地に入ってもらった。

祖父母は、、、病気だったから、元気がないから、お母さんを苦しめたんじゃない。だって、病気だから険悪な家庭になるわけじゃないんだよね。態度なり、相性なり、違う側面でよくなくなっちゃうんだ。

それにね、祖父母は私にはとても優しかった。母と折り合いが悪かったかもしれないけど。私と祖父母の間には問題がなかったのに、母と折り合いが悪いことまで、私の課題にしてしまっていたんだね。

先日、初めてといっていいと思う。祖父が夢に出てきた。そして、私を褒めた。

がんはどうなるかわからないけど、私は今も生きているし、生きていることを誰も否定していない。

私が怖かったのは、病気じゃなくて、その先。病気を理由にして、自分を認めてこなかったこと。自分が病気になるのは、自分の先祖(祖父母)(父母)のせいだってしていれば、自分が行動を起こさなくても許される。

星読みをすること、絵を描くこと、など自分の好きなことをすること、そしてそれを公にしていくことで、人に受け入れられなかった時の怖さ。これを病気で隠して、行動をしてこなかったんだよね。

本来は、自分の好きなことをするのに、他人の評価(目)を気にする必要はないのにね。動いていない理由を病気で隠し、それを先祖のせいにすると(笑)。

また、星読み、ちゃんとしていきますね。それが私に与えられた命でもあると思うから。

お母さんを大切にすることの重要性

今更ながら、重要なことに気がつきました。

ジオセントリックのトランジットを追っていくと、動きが激しいのは「月」なんです。月だけなんです。とにかく色々な感受点やサインにぶつかって進んでいく。

月は感情で、お母さんへの気持ちというか感じ方を踏襲しています。だから、お母さんへの感情がどんなものかによって、日々の出来事の感じ方が変わってきます。

例えば、月が土星にぶつかると、「課題」的な感情に出逢います。やらないといけないこと、向き合った方がいいこと、に気がつけるというか。その時に、その感情をプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、自分がお母さんに対してどういう感情を持っているかで決まります。

お母さんにマイナス感情を持っていると、課題に対してマイナスに捉えてしまいます。

起きていることに良し悪しはないのですが、感情(エゴともいう)においては、プラスとマイナスが存在します。普通に考えて、感情が穏やかな方が、課題にも穏やかに取り組めて楽です。感情が沈んでいれば、簡単な課題でもかなり大変に感じて、行動ができないかもしれません。

なので、お母さんへの感情を処理、つまり、お母さんをどう思っているのかについて、正面から向き合うことはものすごく大切なんだとわかりました。

お母さんがいない人はこの世に一人もいません。全てのお母さんに「感謝」を。産んでくれてありがとう。

セルフイメージが低すぎた

見えない世界と見える世界を繋ぐもの、それを「ソマチッド」というらしい。私の理解では、「こうなりたい自分」を具現化してくれる存在なんだと理解した。

私は健康になりたい。イメージはできているはずなのに、なかなか負のループから抜け出せないでいたんだけど、このソマチッドの理解でようやく抜け出せない理由に気がついた。

具現化するには、セルフイメージとパブリックイメージを合わせていく必要があるということがわかった。そこで、私は自分のセルフイメージが恐ろしく低いことに気がついたのだ。

私は「星読み師」をやっているんだけど、自信がない。色々やってみているけど、自信がない。私なんかが、、、といつも思ってしまっている。

でも、現実で星読みを受けてくださった方からは感謝されるのだ。そして、お世辞を言っているのでないこともよくわかる。そんな風に褒めてもらえるのに、自信がなかった。

星読みで月はお母さんを表す。月はツキとも言える。これまでお母さんを否定していた私だから、ツキにはなかなかに見放された人生だったと思う。なんというかツイていてもそれを認めない、という方があっているかもしれない。それは、褒められても受け入れない、ということと同意義だったように思う。

外からの評価を素直に受け入れられない。自分に自信がないから。それは自分の命のもとである、お母さんを否定しているからなのだ。

で、少し前から、それがようやく終わった。

ダメなお母さんもいいんでない。自分の理想通りのお母さんでなくてもいいんでない。ダメな部分と理想通りでない部分が私を強くしたのは確かなんだ。だから、それを否定してなかったことにしなくていい、受け取っていいんだとようやくわかった。

さて、自分に向けられた祝福を受け取る決意をしました。

さて、星読み師「夏織」の誕生です。今日はちょうどお誕生日だし。ほんとピッタリ。

セルフイメージ上げていきます。

命の元を受け入れないと、当たり前だけど、どんなにスキルがあってもセルフイメージは低いままなので、身体が元気にならないし、星読みも自信を持ってできない。

お母さん

星読みにおいてお母さんは「月」で表される。

月だけでなく、感受点の土星や、乙女サインなんかも”お母さん”的な要素を含んでいるけれども、強いのは「月」だと思う。

さて、私は自分の母との折り合いが悪かった。自分に降りかかるこの世の不幸はみんな「母のせい」くらいの勢いで考えていた。その捉え方も間違いではないし、そこを通らないといけないんだとは思う。

不幸の部分は満ち欠けする月の見えない部分。光の当たらない新月から全てに光が当たる満月、そしてまた新月へと向かう永遠の満ち欠け。月の光と影の部分の「影」の部分が不幸だったんだと思う。

この不幸の部分、影の部分をそのまま手に入れなくてもいいし、手に入れてもいいのだ。と、ようやくわかって、私は手にすることにした。これで私の「月」は満ち欠けしないことになった。

さて、月にはもう一つ顔がある。先ほど話していた月の満ち欠けは、地球から見た「月」の話。月は、地球からは見えない部分もあるけれども、そこは永遠に地球からは見えない。ちょうど、身体の内臓が見えないとの同じように。

ただ、月は全て見えるようになるのだ。ヘリオセントリックの領域までいくと。月が満ち欠けするのは、地球から見た配置を読むジオセントリックの時。太陽から見た配置を読むヘリオセントリックだと月は常に地球と一緒にいて満ち欠けすることはない。

地球=自分に寄り添う「月」=母親。ここでは母親というより”母体”と表現した方がいいのかもしれない。私たち人間はからなず母体を通って生まれる。身体の内側、見えない部分である月の裏側を通って生まれてくるのだ。

生まれた時の星の配置、ネイタルチャートのヘリオセントリックはまさに今お腹から生まれましたーっていう瞬間をよくよく表していると思う。そしてジオセントリックはお母さんと切り離された瞬間の自分。

色々書いたけど、月は興味深いってこと。

感情(水)を出すことと受け止める(土)こと

水は下にしかいかない。なので、水で表される感情は、水単体では下降しかできない。気分は「落ちる」しかないのだ。

気分が上がるという表現があるが、それは火が温めてくれるから上昇するという仕組みになる。星読みにおいて火は、意志や意図となる。火と水が合わされば、高品位では純粋なやる気、低品位では欲望・野望みたいな感じになる。

さて、最近、水が下降しまくっていた私。私は風と火が結構強く出ると、過緊張の状態になってしまって、その結果、水が置いてけぼりになって、沈む。気分が落ち込む、安心ができなくて、眠れなくなる。

沈む時は、土で受け止めてあげる必要があるんだけど、私の土は、風に削られ、火で灰にされ、ボロボロになっていて、支えることができなかった。。。

そんな時は水は流れるままに流しておいたほうがいい。

どんなにドス黒い思いでも、変な感情でも、流しっぱなし。するとスッキリはする。

そのやばい水を自分ではない誰かに支えてもらえたらより良いんだなと、ようやくわかった。そして、そのやばい感情を人に出してもいいんだとようやく思えた。

私は、こういった感情を子供の時にほぼ受け止めてもらえなかったから、、、。随分、成長したな、と思ったよ。

簡単に言えば、我慢しないってことだな。