わたしは天秤サインに強い部分がある。火星と冥王星が天秤サインにいるのだ。6度違いで、合に近い。だから勝ち負けにこだわるというか、”人によく見られたい=スマートでカッコよくいたい”という気持ちになりやすい。3ハウスにあって、ICの近くにあるので、”そう思ってしまう”という感覚になる。
これは欲望としてあって、無くそうとしても無くなるものではない。感受点がここにある以上、勝ち負けになんて拘らないわ!と宣言してみたところで虚しいだけなのである。あるのにない、としていると、あることに気づいてもらおうと頑張るから、もっともっと強い欲望として現実世界が形成されていく(笑)。
ただ、私は勝ち負けで勝つことが嫌いだった。負けることは、当たり前に嫌いなんだけど、勝つことも嫌いだったのだ。理由は、子供の頃の経験にある。勝つと近くの人は、喜ぶよりも嫉妬するのだ。勝つと大人は喜ぶけれど、子供、つまり友人はあまり喜ばない。同じ立場、レベルと言っていいかな、そこにいると思っているから、賞賛を浴びる立場に自分が同等かそれ以下だと思っていた人が立つと、嫉妬されていじめられるか、場合によっては無視されるかなどになる。勝っても寂しい思いをすることが多かった。
これも、今ならわかるんだよ。わたしがそうだったからなんだよね。私が本当は「勝ちたい」し、「友人とも仲良くなりたい」から、いじめられたし、無視された。
わたしが友人に嫉妬することももちろんあって。わたしの方がふさわしいと思っている場所に友人が立つと、本当に悔しいのだ。わたしでもよかったはずなのに、なんでわたしじゃないんだって。で、自分がそこに行けるように頑張ればいいんだけれど、その頑張りを友人を陥れるという行為で叶えようとしてしまう。そっちの方が手っ取り早く自分の欲望を満足させられるから。「陥れる」ここまでやる人は少ないかもしれないけど、「負け惜しみを言う」と言うことは、これにあたる。
自分が負けた、という精神的ダメージを、勝った友人を下げることで、自分を持ち上げ、欲望を叶える。浅はかなんだけれど、そうしてしまった。ごめんなさい。と今は思う。当時も気づいていたけど、気づかないふりをしていたんだと思う。
これはイソップ物語の「酸っぱいブドウ」の話に出てくるキツネそのものだ。あんまり気持ちの良いものではない。でもあるんだよね。わたしの中にあのキツネ。
キツネはどうするかな?ブドウをもう一回とりに行こうかな。今度は知恵がついて、道具を使ったりできるし、ブドウに手が届く仲間に、鳥とかね、お願いすることだってできるから。わたしの過去で言ったら、鳥に「わたしもあのブドウが食べたいよ、わたしの分も取ってくれない?」って言うのが正解かな。
取れたとしても、本当に酸っぱいブドウで食べれたもんじゃないかもしれないんだけどさ。でもその結果はどうでもいんだよね。それよりも、気持ちのいい形で、欲望を満足させられる勇気が大事で。この時の勇気って、自分ができないことをできている人がいるという現実を受け入れて、れが欲しいなら、人にちゃんとお願いする勇気を持てること。
落ちる勇気と人にお願いする勇気。
前者は自分の中で腑に落とすこと。後者は明るく気軽に出していこと。
これができたら、もっと生きやすくなるんだけどなって、思って頑張ってみる。そしたら、勝てるからさ。自分の欲望にね。勝ちたいのよね。わたしね。

