冥王星は極端なので

冥王星は極端すぎて私には使えないな、とようやくわかった。

遠くにあるし、動きもゆっくりだし、意識しようとしまいと、似た感じの影響は生まれてから死ぬまで必ず受けている。それを治そうとしても無駄な話だし、常にあるものとして「無視」を決め込んだ方が生きやすいんだな。

私は、火星と冥王星が合しているから、「行動」の面が極端というか、行動量が多くなりがちというか、そんな感じなんだけど、それはそういうものとして捉えて、受け入れてしまうと楽。私の場合、病気になるまで行動し続ける、という極端さがあるのよね、、、。

で、そこまでやるのは私らしいのよね。しょうがないのよね。

ただ、大難にせず、小難で済ませたいから、これからは「大きいこと」を動かそうとするのをやめようと思う。それと、もっと自分のことを大切にしようと。大きいことをしようとするのは、自分のことが見えていなくて、何をやったらいいのかわからなくて、とりあえず大きいもので色々な欲求をカバーしようとしてしまうからなんだよなあ。自分を大切にすることで、自分のことが見えて、小さいことで満足ができるようになると、行動の極端さも「病気になるまで」というものから、「今日のマックスまで」みたいな領域に変わると思う。

それができたら(できるんだけど)、冥王星は極端だから無視しようって思わなくても良くなるかもしれないな。

お盆期間のつらさ

今年のライオンズゲートとお盆の期間は個人的に身体がものすごくしんどかった。それが、昨日(16日)の夕方に突然、身体が楽になった。

今年のお盆は何か特別だったのか?などと考えてみたけれど、よくわからず。自分のホロスコープチャートと睨めっこすると、ジオセントリックでは、ACにT太陽がちょうど乗ったくらいのタイミングだったので、”生まれた”タイミングだったのかもしれない。身体がキツかったのはこれかなと。

今は獅子サインの季節だけど、前々日は新月と皆既日食(獅子サイン)が重なっていたりなど今年は獅子の季節に天体ショーが目白押しなので、獅子サインに感受点やらなんやらがたくさんある私にはかなりの辛い期間だったのかもな。

あと、T金星がアウトオブバンズしている上、東方最離角になっているからか、その位置にあると、ヘリオのN水星に引っかかるようで、アシュタール?という単語が頭に入ってくるし。ネットで調べると宇宙人らしいけど、宇宙人はよくわからないのでスルーする。

星の配置がきつかったので、今年は、なおさらなんだろうけど、そもそも個人的にはお盆期間は毎年あまり楽しくない。普段の方がいい。今も必要なのかなあ?お盆の儀式。

デジタルデトックス=SNSデトックスの難しさ

「SNSを見ない」っていうことに、ものすごく難しさを感じて書いています。ちょっと暇になるとスマホを開いちゃう。で、それがマイナスにならなければいいんだけど、今の私にはマイナスにしかならない使い方しかできていない。

自ら何かを獲得する目的で使えているならいいんだけど、受け身で使っている場合は本当に危険なの。

それは、SNS、インスタとかエックスとかスレッズって、まともな投稿ってほぼ皆無なのです。ここでいう「まとも」っていうのは、意図が純粋な投稿ってこと。

書いている内容が公にするのはどうかな?っていう内容の愚痴のオンパレードだし、ストレートな愚痴ならまだまともで、醜い仮面に美しい仮面を被せたような投稿もあったりするしで、書いている意図があまりよろしくはないものが多い。公で解決しようとするんじゃなくて、公にする前にもっと小さい範囲で解決する必要があるでしょう、と言いたくなるものが多い。

だから、能動的に使えている時は、有益(必要)な情報に辿り着けるんだけど、そうでない時は、、、。

子供の夏休みに入って、またお盆期間に入って、自分の時間が本当に取れなくなったのね。それに暑くて、身体の調子もイマイチで。そうすると束の間の休憩時間に息抜きしようってなったとき、一番手軽なスマホを開いちゃうことになっていたのですよ、、、。

絵を描いたり、手芸をしたり、本を読んだりっていう、ちょっと手間のかかる息抜きをめんどくさがってやらなかったのね。

そいういう自分自身がマイナスに傾いているときに見るSNSって最悪なのよね。まともじゃない投稿に流されるっていうか引っ張られるっていうか。

そのまともじゃない投稿の主を助けてあげられるはずもないのに、むしろ自分が助けて欲しいくらいの状況なのに、そっちを向いちゃうから。

ただスマホでSNSってすっごく簡単に新しいコンテンツを見まくれるツールになっていて、たまにはいっかで見ちゃってた。でも、結果として、さらに疲れた自分がいる(笑)。

というわけで、SNSを全部アンインストールしました。

これで、SNSデトックスできるといいんだけど。そして、自分のやりたいことを能動的にやるようになるといいんだけど。

昨日の星読みの続き

昨日読んだ星読みは、ちょうど火星が牡牛サインから双子サインへ移行したときだったの。ものすごく納得。双子サインって「気軽」がキーワードになるくらい後先考えず行動をさっと起こせるサイン。牡牛サインも言語を操るけど、双子サインも言葉を操る。ただ「言語」の目的が異なる。牡牛は言語が才能になるけど、なんというかお金を産むイメージなんだけど、双子サインは言葉は行動を起こすためのツールみたいなもので、そこに深い意味はない。ただ流されていくような感じ。だから、私も久しぶりに投稿ができたってことなんだと思う。

私のみている星の配置は、ジオセントリックでなくてヘリオセントリック。一般的な星読みだと、火星は蟹サインにいる。ヘリオとジオを合わせて火星を読み解くと、仲間にしか通じないようなコミュニケーションをとることで自分の行動範囲を狭めているようで、広げていくという試みをしているときだね。関係性は狭いのに、行動範囲だけは広くなる。

興味深いのは、水サインに感受点がないこと。水に関する被害が出ているのに、空の上では水がない。ここは今の私だと理解が追いつかないので保留だな。何か閃くといいんだけど。

ちょうど、火星と天王星が合するタイミングだから、旅になんか出たり、家の近くでも普段行かないようなとこにふらっといくといいかもしれないな。

ジオセントリックって「結果」で動かせないのよ。でもヘリオセントリックは「意図」だから、ここを変えれば、結果が動かせるようになるかもしれないのよね。。。

ちょっと実験してみようかな。

2026.8.14 の星読み

2026年8月14日の星読です。ヘリオセントリックを読み解いていきます。しばらくはこの星読の内容が続く世界だと思います。

キーワードは「こども」。大人な考え方をしない。ただ純粋に好きなことを楽しむことで、日常が彩られていく。普通の出来事もアートになるという感じ。ご飯を食べることもアートの一つ。凝ったことをしなくてもいいので、お皿の並べ方を全部まっすぐにしてみるとか、お皿の端っこだけに乗せてみるとか、大人はしないけど、子供は遊びでやりそうなことを楽しむタイミング。

少しやばいのが、その非日常が場合によっては桁外れになること。大人な対応は忘れて、常に日常のルーチンワークを子供のように遊び心を加えて楽しめていれば、桁外れにはならない。が、新しさを持ち込めていないと、災害級の出来事が外から持ち込まれて、否が応でも非日常に突入する。

仮に桁外れになったとしても大丈夫。それは、いい加減新しいステップに進みなさいよーっていう後押し。これまで持っていた「痛み」を全部ぶっ飛ばして次に進むの。

これが最短ルートだって、知ってるのね。なんかすっごい危険なカケみたいな感じがするんだけど、こんなやばい状況を気軽にやって、新しい自分へのきっかけにしちゃうのよ。

「勇気」もキーワードで、自分の夢・やりたいなーってことに、ちゃんと向き合って、具体的な行動が少しでも取れていればいいの。それは大袈裟なことじゃないよ。小さな勇気。遠くの誰かに何かを届けるよりも、自分の身近な空間や自身の身体を快適にするためのアクションを起こし続けよう。できない理由を探すんじゃんくて、何も考えずにとにかく行動をしてみること。今、できないっていう感情は必要ない。

キョーフ(恐怖)を克服する

”恐れ”から行動するのか、

”幸せ”から行動するのか、

この2つの感情の違いで結果は異なるらしいよ、とは聞くのだけれど。そもそも人間は”恐怖”があって、それを回避するために行動して進化してきた生き物なので、どうしたって恐怖は根底にあってだね、そうそう易々と克服できるもんだはない。と私は思っている。

それで、胃の病気で胃が無くなっちまった私にとって、私の恐怖は目下「食事」に関することだったわけ。

何を食ったら良いのか?身体に聞けって言ったってわかんないよ、状態。色々な書籍を読み漁って、自分の身体で反応を見て、の繰り返し。それでようやく自分なりの答えが見えたってことで記事を書いてます。

・菜食主義について(動物性のたんぱく質をとらないって感じの)

これは非常に食べやすくて、楽なんですよ。火を通して食べるとね、より楽に食べられる。美味しいし、有機無農薬栽培など、作り方にこだわりすぎなければ、お財布にも優しいし。

でも、圧倒的に栄養素が足りなかった。特にタンパク質。大豆から摂るにしても限界がある。そもそも大豆のタンパク質は摂取が難しいようで、たくさん食べてもそんなにタンパク質は摂取できないようだ。

それで、昔の日本人は大丈夫だったじゃん?と私は思ってやってみたんだけど、やっぱり身体が元気にはならない。大丈夫だった理由は後日分かったので後述します。

・動物性タンパク質をしっかり摂ることについて

野菜中心じゃ身体が元気にならんな、と分かってから、タンパク質を摂ることに着目してみた。まずは身体に良いとされる「魚」で。

魚も美味しいし、値段ははるけど、それほど量が食べられる身体ではないので、問題は金銭面は問題なかった。が、、、魚だけだと、やはりタンパク質が足りていないようで、元気が出ない。

どうやら、魚よりも肉の方がタンパク質は摂取できるらしい。特に、私のように大病をした人は慢性的にタンパク質不足の可能性が高く、シノゴノ言ってらんないな、と思った。

それで、ちゃんと肉を食べて身体を作るってことを考えた。必要なタンパク量は本を読むと、相当な量が必要で、そんなに食べられない私は「プロテイン」も追加することに。プロテインの種類もホエイから作られたものが摂取効率も良いとのことで、牛乳のアレルギーがない私はそれも併用することにした。

日本で簡単に手に入るお肉は、牛・豚・鶏で、それぞれ栄養素は異なる。鶏が最も身体にあっていると良く言われるけれど、とりあえず、全てをバランスよく摂取してみることに。

すると、、、元気にはなる。が、、、今度は消化がつらい。お腹が常にはる。。。これはこれでダメだな、とわかり、肉オンリーは終了。

・”鉄”に注目した

身体を作るのには「鉄」が大事。という話を聞いた。起立性の障害も鉄不足が原因のことが多いらしい。そして、そもそも、タンパク質を効率よく摂取できる身体にするには「鉄」が大事だということもわかった。

というわけで、鉄を摂取したいのだが、鉄剤は医者からの処方が必要だし、食物から取るには牛肉がいいのだけど、身体に負担がかかってきつい。それで、どうやら「鉄鍋」や「鉄たまご」で、かなりの鉄を摂取できるとわかったのだ。

私は、 ・鉄瓶で作ったお茶を飲むことと、

・鉄鍋で、調理をしたおかずを食べること、

・鉄たまごを入れた味噌汁を作って食べること、

をすることにした。お茶の成分や野菜に含まれる成分によって、鉄はよく溶け出してくれるらしい。

・・・ここで、気が付いたんだけど、昔の日本人は囲炉裏+鉄鍋で料理してたよね。あと、どうやら、鉄鍋だけじゃなく土鍋も土の中の鉄分が出てくるらしいんだよね。だから、昔の人は野菜だけの料理でも、調理器具から栄養成分を吸収していたってことなんだよね。

あと、お米。精米された白米だと糖質がとても多くなっちゃうけど、玄米の状態だと、別な良栄養素もたっぷり入るんだよね。。。それを、土鍋や鉄鍋で調理したら、ぶっちゃけ、それだけで栄養バランスは結構良かったんだろうね。

鉄の調理器具を使って、肉も魚も野菜も米もバランスよく食べるようになったら、かなり調子は良くなったよ。油断してバランス崩して食べてると、身体の不具合に気づくようになったし。

・”油”についてだけど

油もよく言われるよね。私の身体は「油だけ摂る」ってのには、とことん向いてない。サラダに最後の仕上げにオイルをかけたりするじゃないですか、ああいいう感じの使い方はダメみたい。肉や魚を焼くときに使う油は、熱に強い「ラード」を少量で使っているけど、そこは問題ない感じ。

・最も難しいのが「お菓子」との向き合い方

私は昔から「お菓子」が大好きなのね。クッキーとかね。でもね、これはどうやらダメなのよ。ここからだけエネルギーを摂取するようになるのがダメってことなんだけど。

私が理解したダメな理由は、「老化(劣化)」を招くから。なんで老化するのかって言ったら、砂糖の成分を身体がエネルギーに変換するとき、大量のビタミンを消費するかららしいのね。

身体を動かすためのエネルギーは、糖質(お菓子・砂糖)からとタンパク質からの2経路から作られるらしいんだけど、タンパク質からだとビタミンはそれほど必要ないけど、糖質からだと体内のビタミンをたくさん使ってしまって、ビタミン不足になるらしいのね。それで結果、疲れる(老化・劣化)と。

だから、お菓子を食べたら、ビタミンをきちんと摂取しまくればいいんだけど、そんなにたくさんとれないしね。

そして、この仕組みが分かっても砂糖は断つのが難しい。本当にね、食べたくなるのよ。食べるとドーパミンが出て、幸せになっちゃうから!

だから、お菓子断ちするときは、あらかじめ対策が絶対に必要。意志だけじゃ無理だね。お菓子に手を出さない、”心の強さ”が絶対的に必要だし、お菓子を家に入れない工夫も必要。いただいたときにどう対処するかの仕組みも、考えとく必要があるのよ。。。

・そうは言ってもね、、、

それでもお菓子は素敵だよね。見た目も可愛いし、一口だけで癒される。あとから、身体がだるいこともあるけど、少量ならハッピーだよ。

中世の修道院で食べられていた薬膳レシピの本を見たときにね、砂糖も生クリーム(油)も使われていたの。たっぷりではないけどさ。栄養もだけど、心の安定に繋がるのかなと、私は感じたのね。だから、お菓子は排除じゃなくて、賢く付き合うのがいい。

お米も魚も肉も野菜もちゃんと食べて、お菓子はちょっとたしなむ。これでいいのよ。それで、何を食べるか、ということも大事なんだけど、どんなふうに調理するのかも大事なんだね。それだけで、見た目は一緒でも、中身は変わるんだね。

”恐怖”から、色々調べて、行動したけど、それで良かったと思うよ。これがあったからこそ、ああ、こうすれば怖くないんだ、がわかって、次のステップとして、

じゃあ、みんなと幸せに食事するにはどうしたらいいかな?が、私には、生まれたからね。

二次元論を超えると

”超える”なんて書くと仰々しいけれど、物事を二次元論の”良い・悪い”で判断をしなくなると、とても生きやすくなった。できていないことがあっても、それに「悪いこと」とか「だめ」というマイナスのレッテルを貼らなくてよくなって、そうすると、「治(直)さなくてはいけない」「解決しなくてはいけない」などと自分のこれまでを否定し、改善行動が必要であるという考え方をしなくてよくなるのだ。

それを解決しないのではない。解決を「するべき論」から脱出して、気楽に新しい行動を選択できるようになって、心への負担が減り、結果として、問題もとても早く解決できるようになるのである。

疲れること、嫌なこと、苦手なことなどを伴うことを「悪」とすると、その悪を排除しようとするけど、そうではなくて、その出来事は私に何を教えてくれているか?という問いに視点を変えてみると、排除以外の選択肢がとてもたくさん現れるのである。これを、タイトルでは”超える”という表現で表した。

”超える”と、心が軽やかになる。