昨日の星読みの続き

昨日読んだ星読みは、ちょうど火星が牡牛サインから双子サインへ移行したときだったの。ものすごく納得。双子サインって「気軽」がキーワードになるくらい後先考えず行動をさっと起こせるサイン。牡牛サインも言語を操るけど、双子サインも言葉を操る。ただ「言語」の目的が異なる。牡牛は言語が才能になるけど、なんというかお金を産むイメージなんだけど、双子サインは言葉は行動を起こすためのツールみたいなもので、そこに深い意味はない。ただ流されていくような感じ。だから、私も久しぶりに投稿ができたってことなんだと思う。

私のみている星の配置は、ジオセントリックでなくてヘリオセントリック。一般的な星読みだと、火星は蟹サインにいる。ヘリオとジオを合わせて火星を読み解くと、仲間にしか通じないようなコミュニケーションをとることで自分の行動範囲を狭めているようで、広げていくという試みをしているときだね。関係性は狭いのに、行動範囲だけは広くなる。

興味深いのは、水サインに感受点がないこと。水に関する被害が出ているのに、空の上では水がない。ここは今の私だと理解が追いつかないので保留だな。何か閃くといいんだけど。

ちょうど、火星と天王星が合するタイミングだから、旅になんか出たり、家の近くでも普段行かないようなとこにふらっといくといいかもしれないな。

ジオセントリックって「結果」で動かせないのよ。でもヘリオセントリックは「意図」だから、ここを変えれば、結果が動かせるようになるかもしれないのよね。。。

ちょっと実験してみようかな。

2026.8.14 の星読み

2026年8月14日の星読です。ヘリオセントリックを読み解いていきます。しばらくはこの星読の内容が続く世界だと思います。

キーワードは「こども」。大人な考え方をしない。ただ純粋に好きなことを楽しむことで、日常が彩られていく。普通の出来事もアートになるという感じ。ご飯を食べることもアートの一つ。凝ったことをしなくてもいいので、お皿の並べ方を全部まっすぐにしてみるとか、お皿の端っこだけに乗せてみるとか、大人はしないけど、子供は遊びでやりそうなことを楽しむタイミング。

少しやばいのが、その非日常が場合によっては桁外れになること。大人な対応は忘れて、常に日常のルーチンワークを子供のように遊び心を加えて楽しめていれば、桁外れにはならない。が、新しさを持ち込めていないと、災害級の出来事が外から持ち込まれて、否が応でも非日常に突入する。

仮に桁外れになったとしても大丈夫。それは、いい加減新しいステップに進みなさいよーっていう後押し。これまで持っていた「痛み」を全部ぶっ飛ばして次に進むの。

これが最短ルートだって、知ってるのね。なんかすっごい危険なカケみたいな感じがするんだけど、こんなやばい状況を気軽にやって、新しい自分へのきっかけにしちゃうのよ。

「勇気」もキーワードで、自分の夢・やりたいなーってことに、ちゃんと向き合って、具体的な行動が少しでも取れていればいいの。それは大袈裟なことじゃないよ。小さな勇気。遠くの誰かに何かを届けるよりも、自分の身近な空間や自身の身体を快適にするためのアクションを起こし続けよう。できない理由を探すんじゃんくて、何も考えずにとにかく行動をしてみること。今、できないっていう感情は必要ない。

キョーフ(恐怖)を克服する

”恐れ”から行動するのか、

”幸せ”から行動するのか、

この2つの感情の違いで結果は異なるらしいよ、とは聞くのだけれど。そもそも人間は”恐怖”があって、それを回避するために行動して進化してきた生き物なので、どうしたって恐怖は根底にあってだね、そうそう易々と克服できるもんだはない。と私は思っている。

それで、胃の病気で胃が無くなっちまった私にとって、私の恐怖は目下「食事」に関することだったわけ。

何を食ったら良いのか?身体に聞けって言ったってわかんないよ、状態。色々な書籍を読み漁って、自分の身体で反応を見て、の繰り返し。それでようやく自分なりの答えが見えたってことで記事を書いてます。

・菜食主義について(動物性のたんぱく質をとらないって感じの)

これは非常に食べやすくて、楽なんですよ。火を通して食べるとね、より楽に食べられる。美味しいし、有機無農薬栽培など、作り方にこだわりすぎなければ、お財布にも優しいし。

でも、圧倒的に栄養素が足りなかった。特にタンパク質。大豆から摂るにしても限界がある。そもそも大豆のタンパク質は摂取が難しいようで、たくさん食べてもそんなにタンパク質は摂取できないようだ。

それで、昔の日本人は大丈夫だったじゃん?と私は思ってやってみたんだけど、やっぱり身体が元気にはならない。大丈夫だった理由は後日分かったので後述します。

・動物性タンパク質をしっかり摂ることについて

野菜中心じゃ身体が元気にならんな、と分かってから、タンパク質を摂ることに着目してみた。まずは身体に良いとされる「魚」で。

魚も美味しいし、値段ははるけど、それほど量が食べられる身体ではないので、問題は金銭面は問題なかった。が、、、魚だけだと、やはりタンパク質が足りていないようで、元気が出ない。

どうやら、魚よりも肉の方がタンパク質は摂取できるらしい。特に、私のように大病をした人は慢性的にタンパク質不足の可能性が高く、シノゴノ言ってらんないな、と思った。

それで、ちゃんと肉を食べて身体を作るってことを考えた。必要なタンパク量は本を読むと、相当な量が必要で、そんなに食べられない私は「プロテイン」も追加することに。プロテインの種類もホエイから作られたものが摂取効率も良いとのことで、牛乳のアレルギーがない私はそれも併用することにした。

日本で簡単に手に入るお肉は、牛・豚・鶏で、それぞれ栄養素は異なる。鶏が最も身体にあっていると良く言われるけれど、とりあえず、全てをバランスよく摂取してみることに。

すると、、、元気にはなる。が、、、今度は消化がつらい。お腹が常にはる。。。これはこれでダメだな、とわかり、肉オンリーは終了。

・”鉄”に注目した

身体を作るのには「鉄」が大事。という話を聞いた。起立性の障害も鉄不足が原因のことが多いらしい。そして、そもそも、タンパク質を効率よく摂取できる身体にするには「鉄」が大事だということもわかった。

というわけで、鉄を摂取したいのだが、鉄剤は医者からの処方が必要だし、食物から取るには牛肉がいいのだけど、身体に負担がかかってきつい。それで、どうやら「鉄鍋」や「鉄たまご」で、かなりの鉄を摂取できるとわかったのだ。

私は、 ・鉄瓶で作ったお茶を飲むことと、

・鉄鍋で、調理をしたおかずを食べること、

・鉄たまごを入れた味噌汁を作って食べること、

をすることにした。お茶の成分や野菜に含まれる成分によって、鉄はよく溶け出してくれるらしい。

・・・ここで、気が付いたんだけど、昔の日本人は囲炉裏+鉄鍋で料理してたよね。あと、どうやら、鉄鍋だけじゃなく土鍋も土の中の鉄分が出てくるらしいんだよね。だから、昔の人は野菜だけの料理でも、調理器具から栄養成分を吸収していたってことなんだよね。

あと、お米。精米された白米だと糖質がとても多くなっちゃうけど、玄米の状態だと、別な良栄養素もたっぷり入るんだよね。。。それを、土鍋や鉄鍋で調理したら、ぶっちゃけ、それだけで栄養バランスは結構良かったんだろうね。

鉄の調理器具を使って、肉も魚も野菜も米もバランスよく食べるようになったら、かなり調子は良くなったよ。油断してバランス崩して食べてると、身体の不具合に気づくようになったし。

・”油”についてだけど

油もよく言われるよね。私の身体は「油だけ摂る」ってのには、とことん向いてない。サラダに最後の仕上げにオイルをかけたりするじゃないですか、ああいいう感じの使い方はダメみたい。肉や魚を焼くときに使う油は、熱に強い「ラード」を少量で使っているけど、そこは問題ない感じ。

・最も難しいのが「お菓子」との向き合い方

私は昔から「お菓子」が大好きなのね。クッキーとかね。でもね、これはどうやらダメなのよ。ここからだけエネルギーを摂取するようになるのがダメってことなんだけど。

私が理解したダメな理由は、「老化(劣化)」を招くから。なんで老化するのかって言ったら、砂糖の成分を身体がエネルギーに変換するとき、大量のビタミンを消費するかららしいのね。

身体を動かすためのエネルギーは、糖質(お菓子・砂糖)からとタンパク質からの2経路から作られるらしいんだけど、タンパク質からだとビタミンはそれほど必要ないけど、糖質からだと体内のビタミンをたくさん使ってしまって、ビタミン不足になるらしいのね。それで結果、疲れる(老化・劣化)と。

だから、お菓子を食べたら、ビタミンをきちんと摂取しまくればいいんだけど、そんなにたくさんとれないしね。

そして、この仕組みが分かっても砂糖は断つのが難しい。本当にね、食べたくなるのよ。食べるとドーパミンが出て、幸せになっちゃうから!

だから、お菓子断ちするときは、あらかじめ対策が絶対に必要。意志だけじゃ無理だね。お菓子に手を出さない、”心の強さ”が絶対的に必要だし、お菓子を家に入れない工夫も必要。いただいたときにどう対処するかの仕組みも、考えとく必要があるのよ。。。

・そうは言ってもね、、、

それでもお菓子は素敵だよね。見た目も可愛いし、一口だけで癒される。あとから、身体がだるいこともあるけど、少量ならハッピーだよ。

中世の修道院で食べられていた薬膳レシピの本を見たときにね、砂糖も生クリーム(油)も使われていたの。たっぷりではないけどさ。栄養もだけど、心の安定に繋がるのかなと、私は感じたのね。だから、お菓子は排除じゃなくて、賢く付き合うのがいい。

お米も魚も肉も野菜もちゃんと食べて、お菓子はちょっとたしなむ。これでいいのよ。それで、何を食べるか、ということも大事なんだけど、どんなふうに調理するのかも大事なんだね。それだけで、見た目は一緒でも、中身は変わるんだね。

”恐怖”から、色々調べて、行動したけど、それで良かったと思うよ。これがあったからこそ、ああ、こうすれば怖くないんだ、がわかって、次のステップとして、

じゃあ、みんなと幸せに食事するにはどうしたらいいかな?が、私には、生まれたからね。

二次元論を超えると

”超える”なんて書くと仰々しいけれど、物事を二次元論の”良い・悪い”で判断をしなくなると、とても生きやすくなった。できていないことがあっても、それに「悪いこと」とか「だめ」というマイナスのレッテルを貼らなくてよくなって、そうすると、「治(直)さなくてはいけない」「解決しなくてはいけない」などと自分のこれまでを否定し、改善行動が必要であるという考え方をしなくてよくなるのだ。

それを解決しないのではない。解決を「するべき論」から脱出して、気楽に新しい行動を選択できるようになって、心への負担が減り、結果として、問題もとても早く解決できるようになるのである。

疲れること、嫌なこと、苦手なことなどを伴うことを「悪」とすると、その悪を排除しようとするけど、そうではなくて、その出来事は私に何を教えてくれているか?という問いに視点を変えてみると、排除以外の選択肢がとてもたくさん現れるのである。これを、タイトルでは”超える”という表現で表した。

”超える”と、心が軽やかになる。

二次元論からの脱却

2026年2月21日に土星と海王星が牡羊1度で合になった。その様子を私は、

”被害者と加害者がなくなる””被害者と加害者は同じ”

と訳しました。

この時、私の中で土星と海王星は、聖母マリアとイスカリオテのユダを当てはめていました。

土星は、子供(イエス様)を失った母であるマリア、つまり被害者で

海王星は、友人(イエス様)を結果的に「売る」形になったユダ、つまり加害者です。

被害者がいなければ加害者はいませんし、加害者がいなければ被害者もいません。こっちが無ければ、あっちもない、頭では理解できるのです。でも腑に落ちないというか、意味はわかっても心では納得いかないというか、そんな感じで「知っているけど、できない」みたいな状態でした。

それが、ここにきてようやく納得できるようになりました。

被害者と加害者という立場は変わらないかもしれませんが、そこから抜け出すことで、新しい未来に行けるということがわかったんです。それは被害者(加害者)をやめて、そこから学ぶこと。「良い・悪い」という判断をするのではなくて、そこから何を学ぶのか?ということに視点を上げれば、それで良いんだということにようやく気がつきました。

自分が被害者(加害者)でいると、いつまで経っても、起きた物事を「良い・悪い」で判断し、敵(加害者)を作り出して終わってしまうのです。要は二次元論。あっちが悪いから、こっちは受け入れるか、我慢するしかない、という解決方法です。

もしくは、被害者から脱却するために強くなろう、が目的となり、こちらは被害者の自分を否定しがちになる上、今度は自分が加害者の立場になってしまうのです。

なので、良い・悪いということは置いておいて、そこから何が学べたのか?を判断して、次の一手を打てば良いだけの話だと気がついたのです。

私はずっと「被害者」として生きてきてしまったな、と思いました。でもそれはネガティブではないんです。被害者意識にならないと、生きていけなかっただけなんだとわかりました。

そこから何を学んだか、、、。

被害者にならなくても、”私は休んで良いのだ、生きていて良いのだ”という気持ちを手にいれることが、ようやくできました。”頑張らなくても良いんだ”をようやく理解できた気がします。

・・・どうしても、母子(マリア・土星)は、その特性上、社会的に弱い立場に立ちやすく、被害者的位置に陥りやすいのですよね。二次元論だと。また、同様に先生的な立場(ユダ・海王星)は、加害者的立場になりやすい。

でも、その出来事を良い・悪いという選択問題で解決するのではなく、出来事から何を学んだ?という応用問題にすると、新しい世界が確かに開けるのでした。

私はずっと被害者でした。家庭で。だから、それが抜けなくて、社会に出ても被害者だったと思います。被害者の私が持ちえた解決方法は、「我慢すること」と「立場の上の人が目的としていることを理解してそれを達成すること」でした。

育った家庭で、私は自分の意見が言える立場では全然なかったのですね。でもだからこそ、他人が求めるものがよく見えるようになりました。

ただ、私はすでに大人だし、それに自分の意見が言えないという状況の家庭は、、、終わりました。その大元だった、祖父母の遺骨を共同墓地に入れ、自由になったのです。でも祖父母は加害者ではありません。もちろん、加害者的側面もありますが、前述したように多くを学べたし、それに、、、住むことができる土地を私に残してくれましたから。それには、とても感謝しています。

天使でも悪魔でも、どっちでもいい

私には、怖いものがあったんですよ。それは「蛇」。蛇と言っても、蛇そのものが怖いのではないんです。神社(神域)で蛇に出会ったりすると、「ああ、何かいいことありそうだな」と思うくらい、怖くなくて、むしろ良いシンボルとして捉えているくらい。

じゃあ、何が怖いのかといえば、それは「聖書」に出てくる「蛇」です。イブをそそのかした蛇。人間(アダム)が、神様(主)から楽園を追われるきっかけを作った蛇。

Aiで検索すると、、、

旧約聖書の『創世記』において、蛇はエデンの園で最初の人間であるアダムとイブ(エバ)を狡猾な言葉で惑わし、食べてはいけないとされていた「知恵の実」を食べさせた誘惑者として描かれています

私は、この蛇が怖いんです。さらにいうと、前述した通り、蛇そのものが怖いのではなく、蛇は”誘惑者=悪”だと、解釈する人たちが怖いのです。それもあって、私は「聖書」がめちゃくちゃ苦手です。

でも、気がついたんです。日本の鏡餅って、蛇がトグロを巻いている形なんですよね。日本では蛇は神聖視されていて、聖書の世界観とは真逆です。

日本語って、母音の発音なんですってね。他の国の言語は子音でできているのに。これも逆、というか違う。

他にも色々あったんですけど、聖書の世界観と日本の世界観ってあべこべが多いんです。

でも別に、どっちが「良い悪い」って話ではない。どっちもいいし、どっちもあっていい価値観なんですよね。蛇も「良いところ(神聖)」「悪いところ(悪魔)」があるってだけで。どっちもあるから蛇なんです。

そしたら、自分もどっちもあって良いんだ、良い方だけに偏らなくて良いんだとわかりました。

悪魔って天使かもしれない。だって、聖書だと蛇は悪魔だけど、日本だと蛇は神様の使い(天使)だもの。

どっちでも良いのよね。天使でも悪魔でも。両方あって「自分」なのだ。

2026年 蟹サインの宇宙

蟹サイン(2026.6/21-7/22)

目の前の相手のために何ができるのか?

それを自分の中でしっかりと認識するとき。相手のために行動するとき、その行動の本質は自分のどんな気持ちから出ているのかをちゃんと見つめたい。

それは善意から?それとも悪意から?

相手の成功を心から応援しての行動?

自分の失敗を隠すため?それとも!?

天使的な気持ちだったら、それをそのまま実行に移せばいい。

悪魔的な気持ちがあっても、そこをちゃんと見つめて、気づいて手放せばいい。

※ちなみに、悪魔って悪魔じゃないこともあるんだよね。天使も同様に。

今の時期は赤の他人というより、家族や家族のようなコミュニティ(チーム)のような親密な関係の人たちとの交流で、それ(相手のために何ができる?)を理解していく流れ。

残酷というか、ドローとしたモヤっとした感情が流れ込んで、ハッとするかもしれない。ネガティブな感情かもしれないけど、でもそれが大事で、気づきを得てポジティブもしくは中庸に変換を促すことになるので、怖がることはない。

母親のような自分達を見守ってくれる存在からのアドバイスがその流れをサポートしてくれる。自分では思いつかないような感情を伴った深い考察がもたらされるので、どんな感情でも蓋をせず慌てないで向き合いたい。

そうすれば、家族や仲良しの友人たちとのとても楽しい充実した時間が得られる。無から有を生み出すようなキラキラした時間を、親しい間柄の人たちだけで通じるような特別なコミュニケーションを通じて存分に楽しむことができるようになるから。

それは、個人個人が心の奥底で望んでいる行動(状態)で、深いところにある願い。だから、気づきにくいけど、一人ひとりが取るべき行動から直結している。

そしてそれは、個々それぞれが持つ身体的個性や才能を活かせるチャンスとして、ふっとやってくる気配です。

自分と相手がどっちが良くてどっちが間違っている、という不毛なやり取りを終わらせるための期間。自分のいいところを相手から切り離して考える時。「自分」とは違うけれど、”仲良しだから””家族だから”という理由で、相手に合わせて自分のいいところを封印していたら勿体ないの。相手と違うことをするのは悪いことじゃない。それが個性であり、才能になる。仲良しだったら、いつも一緒、じゃなくて、一緒にいても別なことをしてもいいし、一つの目的達成のために、それぞれを才能を活かした別な「仕事」があるというこということを認識していい。

◾️キーワード

仲良し/その人に合わせたコミュニケーション/

創造性/夢を気軽に捉える/

最短で夢が叶うと信じる/

母性を忘れない(慈しみの心を持つ)