25年5月5日 はじまり は おわり のとき

5月5日の星読みをしていきます。

宇宙からのメッセージは「より良い自分になりたいのなら、鏡にうつった自分を見て、直したいところを素直に直せばいい。」「その時に、鏡にうつった偽物の自分を直しても意味がなくて、自分自身を直すこと。」

重要なのは、鏡にうつった偽物の自分は、目の前にいる「他人」であること。他人を直そうとしても意味がない。きちんと自分が直せていれば、すぐに目の前の相手の反応が好ましいものに変わる。自分じゃなくて、相手(他人)を変えようとしている時は、相手の反応がいつもと同じ、変わっていないってこと。

もう何年、何十年と繰り返されてきたお決まりのパターン。いくら言っても直らないでしょ。と諦めて言葉にしていないこと、家族間、特に母子間だとたくさんあるはず。嫌なことじゃなくても、特段普通のことも、言葉にしなくても理解できちゃうなら、そのままにしていることも多々あるはず。日常生活の一コマ。洗濯物をたたんで置いておいたら、「ありがとう」と感謝してくれたら嬉しいのになあ。別に言われなくてもいいんだけどね。些細なことだし。みたいな小さなこと。

心の底の底から搾り出すような言葉。それは何かすごい言葉、詩とか内容が濃いものとか、そういった劇的なことじゃなくて、日常の当たり前に繰り返されてきたことの中から、本当は自分がこう思っていたことを搾り出すような言葉。

この時期、自分に何かハプニングが起こりやすい。自分のやりたいことに気づいたり、これまでできていたことがなぜかできなくなったり、体調を崩すなんてこともあるかも。そしてそれははじめてのことじゃなくて、前にもあったこと。

やりたいこと、前から気づいていたけど、まあいいか。普通に子どものお弁当を毎日作っていたけど、もう作る気が起きないよ、でも我慢してやらなくちゃね。具合が悪いけど、ちょっと休んでまた同じように頑張ろう。

いつものパターンで乗り切ろうとした時、なんでハプニングが起こるのか、心の底の底をのぞいてみて。特に母に対するもので。物理的に考えても、生まれた時から一番長く地球上で生きる時間を共有することになる母。その母からもらった生き方の中にヒントが隠れている。

5月5日頃に起こるハプニングは、新しい自分のはじまりを教えてくれる小さなキー。まあいいかでいつもやり過ごすことは、子どもの頃からの自分の「クセ」。単なる「クセ」なの。そんないつものパターンから抜け出したいなら、行動はいつもと変わらないかもしれないけど、その行動の目的を変えてみて。

やりたいことができていないのはなぜ?子どもの頃からのクセでできていないはず。それは考え方のクセ。できていないのはあなたに才能がないからできていないのじゃなくて、その才能を使う気がないから。子どもの頃はその才能を使っていたんだとしたら、すぐに使い始めて欲しいし、大人になってその才能を封印したとしたら、封印しちゃってたと気がつくだけでいい。

はじまりはおわりの時。終わるのはこれまでの自分と相手の関係。側からの見た目は変わらないけど、内側での関係は変わっていく。

それはあなたが変えようと思えばすぐに。

変えないでいたら、、、それはいつでもそのまま。

大きいことじゃないよ。日常で。

ただ、この地球は小さな日常の積み重ねでできている。だから、日常を直すと、結果劇的にたどり着く未来が変わるのさ。

・・

タイトル、すっごく当たり前なんだよね。

はじまりはおわりってさ、当たり前だよね、終わったからはじめるのって

でもね、終わっているのにはじめていないことってあるのよ。

akuma悪魔はいるの?

スピリチュアルに興味があってもなくても一度は聞いたことがあるはず、「堕天使ルシファー」。神様の隣にいて、最も輝いていた天使だったけど、傲慢、、、自分が神様になれると思い込んで、神様との繋がりを断ち、堕落した存在と私は理解していた。私がその存在に気づいたのはいつだったのかわからないけど、子どもの頃だったことは間違いないかな。

私は、一般的に「ダメだよ」と言われていることは、ダメと理解し、真面目にそれをしないようにする性質を持ち合わせていると思っていて、ルシファーの堕天物語に関しても、そうならないようにしてきた。

私が理解しているルシファーの堕天物語はこうだ。神様の隣にいて最も輝かしい存在だったルシファー。神様から、堕天した存在を天に戻すように役目をいただいた。その役目を果たす中で、「自分なら神様になれる」と思い、結果自分が堕天した。

「自分が誰よりも一番になれる」ルシファーはそう思ったんだろうか?私は「一番になれる」と思うことは悪いことじゃないと思う。結局、その思いがどこからきているのか、動機が最も大切なのであって、動機が素敵なものならば何も間違いはない。

ルシファーは『神よりすごくなれる』と思ったんだろうか。堕天を本当にしたのならば、本当にそう思ったんだろう。じゃあ、動機はなんだったんだろう。

その動機を私はようやく理解した。

ルシファーは堕天しているように見えていた。

でも、神様と一対一の関係において、ルシファーは一度も神様と離れたことがなかった。

ルシファーを含め、神様以外は、ルシファーと神様は切れていると見えていたと思うけど、神様からはずーっとずーっと見えていた。誰にも見えない細い細い細い頼りない糸で。

ルシファーは自ら地獄に堕ちた。動機は、、、

「神様から授かった役目を果たすため」

輝かしい姿で、堕ちた存在を戻そうとしても、これっぽっちもうまくいかない。少し考えればわかる。自分が何かしようとしてうまくいかないとき、不貞腐れる時がある。不貞腐れている時に、人生がうまくいっている人に「いいこと」を言われたら、嬉しいというよりは、ほっといてほしいとか、余計なお世話だよ!とか、反発しかしない。そのいい言葉がどんなに正しいことであっても、受け入れることが難しいんだ。

そして、自分と同じようにうまくいっていない存在とつるむ。そして、その存在の言うことを聞いてしまう。仲間になってしまう。深く深く入り込んでしまうと、どこかで抜け出した方がいいことがわかっていても、なかなか抜け出せなくなってしまうんだ。

だからできるだけ浅い段階で、いいことを受け入れた方がいいんだけど、できない。受け入れられないのには理由がある。個人的には、自分の「惨めさ」を受け入れることがなかなかできないからだと思った。自分のやりたいことができなくて、できている人を見ると、どうしようもなく自分が惨めになる。神様はどうして自分にその輝きの場を与えて下さらないのか。。。

困っている人を本気で助けたい時、外から助けようとしても助けることができない。内に入るしかないんだ。

溺れている人を助けたい時、陸から「こっちに来れば助かるよ」といくら叫んだところで、その人は助からない。誰かが水に入って助けなければ溺れている人は助からない。

ルシファーはきっとこう思った、

「堕ちた存在を天に引き戻すには、自分が堕ちないとできないんだ」

それがつまり、周囲にはこう見えた

「ルシファーは自らが神様になれると思い込んだ」

周囲からは完全にルシファーが堕ちたとしか見えなかっただろう。そうしなくちゃ堕天した存在はルシファーを信じない。

でも、最後にルシファーは気がつくんだ。

輝かしい存在の状態でも助けることができたんだって。

ルシファーは「堕ちることは悪いこと」って思って堕ちないようにしてきたけど、その考え方自体が「堕ちている」。

その「堕ちることは悪いこと」を自分が持っている限り、堕ちた存在はそれに反発する。輝かしい状態のままでも、堕ちることは悪くないってわかれば、輝かしい姿でもみんな理解してくれる。正確に書けば、伝えたい存在が受け入れることができる状態まで自分の輝きを調整することができるようになるんだ!

悪魔はいる。でもそれは自分が悪魔にしているだけで、誰かが悪魔なわけじゃないんだ。

ルシファーは神のそばに戻ったという。本当だと思う。

完全無欠の世界へようこそ。きっとこれが弥勒369の世界だと思う。

オアシス

子どもが春休みで家にずーっといる。わたしは子どもの時から小さい子と遊ぶのが大好きで、小学生のころは近所の小さいお友達とよく一緒に遊んだ。だから、子どもとずーっと一緒にいられる春休みはとっても楽しいし、幸せである。

とはいえ、24時間べったりだと、さすがにつらい(笑)。息抜きは必要なのである。

息子のお友達と一緒に、となり町の室内で身体を動かして遊べる施設にやってきた。息子が友達と遊んでいる間はわたしの休憩時間だ。

お友達のママに、「連れて行ってもらうなんて申し訳ない」と言われたが、全然申し訳なくない。ひとりでも連れて行くし、午後の少しの時間であれば、ひとりもふたりもたいした違いはないし。

わたしの場合、呼吸するのと同じくらい、子どもといるのが普通にできる。それは、星読みでいえば、わたしの金星が蟹サインにいるからなんだよなあ、と思う。

子どもの長期休みはわたしのオアシスなんだな(笑)。

卒業

今日は息子の終業式だった。息子は小学1年生。初登校の日はどうなるかと思ったけど、一年しっかり学校に通えた。その頃と比べると格段に成長した。

さて、自分はどうだろう?社会に出ると一年という区切りが子どもの頃に比べるととても曖昧になっている。

それでもやっぱりわたしも成長してる。子どもの心配を手放せるようになった。

「卒業」なんて書くとちょっと仰々しいけど、わたしはなんでも心配しすぎることから卒業できました。

About Raft 2

昨日の記事を書いてから、わたしにとって

豪華客船:会社

Raft-筏:おうち

というように捉えていたのかな。と思いました。

会社を退職する際、総務の方とやり取りをしていた時に気付いたことなんですが、わたしは「社会と繋がっていたい」と心から思っているということ。その時はすでにおかあさんとしておうちにいると決心がついている時なんですが、おうちの外=社会に出て、様々な人と関わりたい、繋がっていたいと思っている自分がいることにも気がつきました。

このサイトを立ち上げたのも、おかあさんとしてのなんてことはない日常を綴りたかったのは間違いないのですが、それと同時に社会と繋がりを保つためのものでもあるんだな、それで立ち上げたかったんだなとわかりました。すでに星読みはできるので、サイトにもそのメニューページを開設前に作っていましたし。

するとわたしは、おかあさんとしておうちの家事をこなしながら、会社でやってきたように「仕事」をして社会と繋がることがしたいんだな。頭の中(脳)には認識として上がってきてはいないけど、自分の行動を振り返るとそうなってる。

星読みは占星術とも言えるのですけれど、占星術界では、2020年に土の時代から風の時代へ移行した、と言われています。風の時代はまず先に行動があって後からその意味がわかるという時代で、わたしもまさにその流れに当たり前にように乗っかっているんだなーと。

今日はどんな一日になるかな?いいことありそうな予感。

いいことがありそうな予感は予祝。星読みで言うと「金星」の担当です。

About Raft

このサイトのタイトル「Raft」について、少し紹介しますね。

「About」でも触れているんですけど、Raft-ラフトは筏-いかだのことです。木材を繋ぎ合わせただけの簡素な舟のこと。日常の生活を波と例えたとき、その波を航海するには、舟が必要です。頑張って泳いでもいいのかもしれないですけれどね(笑)、それだと流石にすぐにThe ENDになってしまうので、最低限の装備は必要と、わたしは航海する舟に「筏-Raft」を選びました。

ある日、「豪華客船は沈没するから降りろ!」って言われたんです。それはnoteで知り合いになったチャネラーさんと12人の子どもを育てているお母さんと会話をしていた時に教えてもらった言葉でした。

ふたりはわたしの1歩も2歩も先を歩いているように見えていて、その言葉を教えてもらった時、なんの疑問を持つこともなく「そうか」と納得しました。

その時わたしは豪華客船に乗っていました。人それぞれ豪華客船の定義は違うと思いますが、わたしにとっては、正社員としてしっかりした会社に勤めることが豪華客船そのものでした。

腑に落としたものの、問題はどうやったら豪華客船から降りて、筏に乗り換えられるのかってこと。単に「会社を辞めます」って辞表を書けばいいだけなんですけど、当時のわたしは何せ頑丈で入り組んだ船に乗っていたみたいで、辞表を出せる状況になるまで随分と時間がかかりました。ゴールは明確になっているのにルートがわかっていない。心が迷子になって、身体が上手に動きませんでした。

今はわかりました。「豪華客船を降りよう!筏を作ってそれに乗ろう!」と心に決めた時点でそのルートに乗っているんです。豪華客船を降りて、筏に乗っているんです。巨大迷路で上から見るとスタートからゴールへの道のりがよくわかるのに、実際に迷路の中に入ってみるとゴールがわからなくなるのと似ています。

わたしにとって筏に乗ることは

「目の前に置かれた状況を楽しむこと」だったんです。

そもそも豪華客船だと思っていた会社から出ることをゴールと設定していましたが、それはすでに問題ではなかったんです。

目の前に置かれた状況に正面から向き合って その状況を味わうこと。わたしの場合はそれを楽しめるまで。

豪華客船は会社でも社会でもなく、単に自分の心の武装する状態でした。心を筏に乗せればそれで完了だったんです!!会社も辞めなきゃいけないと思い込んでいましたが、結果としてわたしの場合は辞めることになりましたけど、辞めなくてはいけないわけではなかったんですね。無理やり辞める波に乗ろうとしなくても、勝手にその波に乗っていたんだと思います。

こう考えると、生きるのがとってもとっても楽になります。

今朝、目の前に置かれたことはなんだったと思います?笑いますよ(その時のわたしは真剣ですが!)。

”朝食に「パン」を食べるかどうか。”

普通は食べてもいいでしょ?でも、わたしの心はカチンコチンでね、ごはんじゃないとわたしお身体はダメでしょ!?って思い込んでいるんです。そして、食べたら答えがすぐに出るかしら?って思ったのに、全然出てこない!!

でも筏に乗っているでしょ。答えに辿り着くタイミングじゃないのかなと。カチンコチンで閉じた状態なんだわね、受信する身体が。

とりあえず、目の前に置かれたことは「自由」って状態。なんでもできる状態ではある。

・・・白い布でワンピースを作りたいんですよね。

それをみに行こうかな。

プロフィール

何から書けばいいんだろう?何から書きたかったんだっけ?

いざサイトを立ち上げてみると何を書いたらいいのかわからなくなっちゃった。ごはんのことや衣類の整え方や畑のことなんか、ほんとわんさか書きたいことがあるのに、どうやって書いたらいいのかさっぱりになってしまったのね。

思いついたのは、はじめはわたしはどんな人なのかという紹介からスタートすればいいのでは。ということ。それではどんな人なのか書き出してみます。

わたしは専業主婦のおかあさんです。

おうちの家事がわたしの仕事です。数年前までは会社で働いていました。だからこそ、今の状況のありがたさがとてもよく理解できています。

家族のために、家を整えたり、食事を作ったり、着る物を揃えたりすること。季節に合わせてそれらを工夫しながら進めるのはこの上なく素敵なだなあ、と感謝しながら生きています。

この状況に辿り着けたのは、実は「病気」のおかげだったりします。大きな病気で、スキルス胃がんというものでした。告知された時は絶望に近いものがありましたが、自分の中にある「やりたい」という希望のタネのおかげで生き延びることができました。

わたしの希望のタネは「おかあさんをやること」でした。

子どもが一年生になったら、お家にいて「おかえり」を言ってあげたい。

これがわたしの一番やりたいことでした。お家にいて、家族のために家事をしたかったのです。それは自分のためでもありました。わたしがやりたいことは、会社にはなく、お家でやることばかりだったのです。

畑を作って、自分で作ったものを食べる生活をしてみたい。自分で作った衣類を着て過ごしてみたい。なるべく車に頼らない生活をしてみたい。地球環境にやさしい生活をしてみたい。

こんな希望のタネがはっきりと見えていました。会社勤めをしながら、この生活をしようと頑張って努力しましたが、働きながら叶えることはとても難しく、心と体が両方悲鳴をあげました。わたしが壊れていくのは理解していたのですが、それをわたしが受け入れて生活を変えていくことはできませんでした。わたしは家族や会社に自分がやりたい生活を「言う」ことができなかったのです。

なぜ言えなかったのかといえば、わたしの間違った認識が原因でした。そもそも「言う」と言うことが自分の叶えたい生活につながるとは思っていなかったのです。わたしは、自分に何か立派なことができるようになったら自然にその生活になっていくのではないかと考えていました。だから、仕事も頑張ったし、家事も頑張ったし、子育ても。そして、それを頑張る中で自分の希望も勝手に叶っていくと考えていたのです。自分がスーパーマンになって周囲に認めてもらえれば、周囲が自分の希望を形にしてくれると思い込んでいたのです!

当たり前ですけど、頑張りすぎると心と身体は疲弊して壊れてしまいます。わたしは重い病気になって、ようやくようやく周囲に「仕事を辞める」と言うことができました。そして、治療後は、憧れていたこと、つまり、、、

お家にいて、子どもに「おかえり」を言う。

畑を作って、自分で作ったものを食べる生活をする。

自分で作った衣類を着て過ごす。

なるべく車に頼らない生活をする。

地球環境にやさしい生活をしてみたい。

全部が完璧にできているわけではありませんが、確実に希望のタネが発芽して、花が咲き、実がなり始めたのです。わたしの中に眠っていた、わたしのやりたい「おかあさん」が出てきたのです。

今日はこれから近所のスーパーへ自転車に乗ってご飯の買い物に行く予定です。冷蔵庫の中にキャベツの外葉があるので、千切りで炒めようと思っていて、それに合うタンパク質となる食材を買いたいなと思っています。

それではこの辺で。