月は満ちる

月は満ち欠けする。だから、かけた部分のことを「隠れる」と私は表現している。反対に、全てが満ちる瞬間もある。それは、隠れるところがない、隠すところがない、あけっぴろげ、みたいな感じで、私は解釈している。

衆議院選挙の結果が出て、ようやくひと段落した感じがする。昨日、無性に疲れているなあ、と思ったのだけれど、選挙の影響もあったのかな、と。世間は結構選挙で盛り上がっていたというか、殺伐としていたように思う。街に出れば、選挙カーが大声で宣伝をしているし、家にいても選挙カーがやってくる。テレビをつければ、選挙。ネットも選挙で盛り上がっていたと思う。

これ、「戦いくさ」なんだよね。現代のね。そりゃ、疲れるわ、、、。と、ようやく気がつきました。

夜中に目が覚めて、ふと窓の外を見たら、綺麗な月があってね。下弦の月で、新月に向かっている。これから、変容のターンに入っていくから、、、もれなく何かが変わるんだろうな。

私は、月が嫌いだったのよ。不安定だから。気持ちがいい時はいいけど、悪い時、最悪だし。いいと悪いを行ったり来たりするのが嫌だったの。

一番嫌だったのは、「自分」じゃなくて「おかあさんの感情(=月)」に振り回されるのが嫌だったんだなって、今ではわかる。子供の時はみんながそうなんだってことは理解できるよ。自分よりおかあさんの感情を優先する。

今日は家で遊びたいな、って思っても、おかあさんに「子供は外でお友達を遊ぶのが一番いいの」と何度も言われ続けると、おかあさんの顔色(感情)を伺って、自分のやりたいことを諦める。

思春期になると、そこでちゃんと反発ができて、自分の感情(月)を優先させて、自分のやりたいこと(太陽)を使っていくことができ、それが自立になるんだと思う。

私はこの自立が上手にできなかったな、と今でも思うし、もしかしたら、ずっとこれは残るのかもしれないな。

私の場合ね、今思うと、反抗ができる家庭ではなかったのよ。前にも書いたけど、父は単身赴任でいないし、祖父は半身不随でお世話必須の生き方で、祖母は家事が上手にできない上、嫁いびりはしてたし、そこで生きている母は常に感情が非常に悪い感じになっていたよ。

私が反抗すると、母はより悪い感じになるだろうから、その選択肢は子供の私になかったんだろうな、と思う。この生き方、つまり他人の感情を悪い方に刺激しない、という術は、社会に出てからも抜けなかったから、ほんと、厄介は厄介なのよ。

それがすごく嫌だったんだけど、最近ようやく、母の月(感情)の尻拭いをやめよう、と思い、それを行動に移すことができて、自分の月(=感情)を好きになれてきたと感じていてね。

具体的には、ご飯を作ること。前は、老齢の母を気遣う食事ばっかり気にして作っていて、つまり母の顔色を伺っていたんだわね、夫や息子(小学生)のご飯は後回し、、、。

育ち盛りの子供の食事と老年の母の食事は違うんだ。それ、母もやってきたんだから、大変なこと、知っていることなんだけどね。

母は「気にしなくていいよ」って言うんだけどね、しなくていいとは言わないし、行動には移さないよ。ここが母親のずるいところだな、と今でははっきりわかるよ。ほんとに、子供のことを考えていたら、口だけでなくて、行動で示すんだよ。「受け取らない」っていう選択を行動で示すの。でもそれはしない。罪悪感はあるんだと思う。だから口だけはいう。

でも、私も悪いんだ。嫌なのに、ご飯を作っていたからね。だから、もうやめた。ものすごく罪悪感を感じたよ。最初はね。でも今は、罪悪感もありながら、自分の月(感情)が安心しているのがわかるの。母の感情の受け皿をやめたら、自分の感情を受け取れるようになったからだと思う。

まあ、その罪悪感も人としては、必要なものなんだろうな。ブレーキとして。必要以上に人を壊さないための。そして、この罪悪感、私は宗教的な思想から発すると思っているよ。おかあさんを大切にしないとダメですよっていう、宗教的な思想。宗教とは上手に付き合えるといいな。

自分の月がわかると、満ち欠けも大丈夫なんだよ。人のじゃないからね、下がっているなら、下がっているなりに対処できるんだね。発見だったわ。

隠れても、あけっぴろげでも大丈夫。

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