Mystery of PoF

PoFはパートオブフォーチュンと言って、幸福のありかを示す場所。出し方は検索をかければすぐにわかるのだけれども、、、

どうして、ここが幸福のありかなのか、意味がさっぱりわからない。

ASC+月−太陽

この計算でPoFは出せるんだけど、

アセンダントに月を足し、太陽を引く これの意味がわからん。

アセンダントは、生まれた日の日の出から、どのくらいの位置で自分自身は生まれたのか?ということがわかる。その日の誕生から、自分はどこまでズレているのか?とも言える。

太陽は、生まれた日の太陽はどこにいたのかがわかる。太陽は一年で360度一周するので、PoFの度数では一年の始まりから、どこまで進んだ時点にいるのか、が示される。太陽本来の出生日とのズレがわかる感じ。

月は、生まれた時に、月がどこにいたのかがわかる。月は約28日で360度一周する。月の周期は太陽の周期とは合わない。1年360度という単位に対して、太陽は60、12という数字で対応しているが、月は28、13という数字になり、月は地球(太陽の鏡)の衛星でありながら、それとは関係なく独自のルールで動いている。その独自の月が、その年の太陽が生まれた時からどこまで進んでいるのか?という数字になるのだが、太陽とは違って、いつも同じサインから一年がスタートするわけではない。

こう見てくると、アセンダントからなぜ同じ土俵に上がっていない月の数字を足すのかわからない。また、月の数字に土俵の違う太陽の数字を足す意味もわからない。そもそも、アセンダントの数字に、太陽や月の度数を足したり、引いたりする意味がわからない、、、。

アセンダントも太陽も月もとっても大事なのはわかる。でもなぜ、この大切な場所を足したり引いたりすると、幸福のありか、PoFになるのかの意味がわからん。

古典占星術らしいので、昔の人がどうしてそのように考えたのかわからん。誰か教えてくれ。そして、いまいち重要性がわからんのだが、これが今来ていることだけはわかる、、、。

ひらめき(降りてくる)のを待つしかないのかしら、、、。

逆行

私のネイタルチャートは木星が逆行しています。木星は拡大の感受点で、喜びをより大きく、欲望もより大きく、とにかくいいも悪いも関係なく、拡げていく感受点です。

私はこれが逆行しているので、「留める」という作用になります。拡大の反対で引き締めるのではないか?と解釈される方もいると思うのですが、引き締めるのは土星の役割なので、拡大の逆行は「留める」で、広がりを阻止する、という解釈に落ち着いています。

逆行というのは、ジオセントリック(地球視点のホロスコープ)でしか見られない現象で、つまり地球にしかない概念です。ヘリオセントリック(太陽視点のホロスコープ)では、逆行はありません。

逆行があるからこそ、地球は安全なんだな、と気がついたので、それを書いていきます。

社会天体のほとんどが、逆行している方に何人かお会いしたことがあります。その方々とお会いして、価値観やこれまでの状態なんかを聞いていると、一般の人たちとまるで逆で、大変良い気づきを得ることができます。

一般常識と呼ばれるものは、時代によって変わります。当たり前の価値観は決して当たり前ではないのですが、あまりにも多くの人がそれを「正解(常識)」とするので、そのことを忘れがちになります。逆行している人たちは、常識が常識ではないことを思い出させてくれます。

例えば海王星を例に挙げると、夢は叶えるもの(希望)、とは捉えず、夢は諦めるもの、と捉えます。こうすると無謀な夢には簡単に諦めをつけることができ、うわつかず、地に足のついた生活が送れます。

また、今の時代を生きていれば、基本的には会社や公的機関に勤める方が多いと思います。もちろん、ライフイベントによって、専業主婦になったり、病気などでいっとき家に籠るなど、常に会社・公的機関に在籍するわけではありませんが、多くはそこに所属する期間はあると思います。

逆行している彼らは、ここに在籍をしていることができません。入ろうとしても、またいっとき入ったとしても、弾かれます。

常識ーーみんなが普通と思っていること、と言ってもいいかもしれませんが、それが、「みんな」ではなく「個人的」な普通になってしまい、どうにもならないのです。

家庭や仲間の中でなら、「個性」として処理される特性も、社会(会社・公的機関)という大きい塊の中に入ると、一般的な常識の解釈がその人独自の常識で動いているので、足並みが全く揃いません。

逆行している彼らの普通は、一般の人の普通とは違います。

エンデの「モモ」というお話を知っていますか?社会天体が逆行している彼らは、「モモ」です。彼らが行き過ぎを止めて、いいバランスを保ってくれているのです。間違いなく。

今は、とても時間が早いです。季節感を感じることなく、社会(会社。公的機関)の時間に合わせて前に進んでいる場合も多いのではないでしょうか。私もそうでした。でも、彼らは違います。ちゃんと「自分の時間」で進みます。ここが私が彼らを「モモ」と呼ぶ所以です。時間泥棒から時間を取り返してくれるのです。

私は木星が逆行していると書きました。普通の人は木星を「ラッキー」のサインとして、吉凶で言えば「吉」の感受点と捉えますが、私は逆で、木星が怖くて仕方がありませんでした。デカくならなくていいし、いいも悪いも、普通が一番いいの、と思っていました。

私はきっと、広がりを抑えることで、欲望やよくないことが拡がるのを留める、いいことであっても行き過ぎない、そんなバランスをとる役割を地球でになっているんだと思います。

逆行は悪いことじゃないんだよ。それが言いたかっただけなんだと思います。

満月後の浄化

私は一応、星読み師なんですが、本日、自分のネイタルチャートで間違った解釈をしていたことに気がつきまして、、、。

それがあろうことか、MCのサビアンに関することなんですよ。

MCって大事なんですよ、大事じゃないものなんてないんですけどね、MCっていうのは、自分の目標設定箇所みたいなところで、外から見た自分の役割みたいな部分なんです。大事でしょ。

その度数(場所)の解釈が間違っていまして。

そもそも、私はその度数のサビアンシンボルが嫌いだったんです。読んでも読んでも釈然としない。次の度数の解釈の方がしっくりきていたんです。

で、たまたま、窓から空を見えげている時に、MCのサビアンを思い出しまして。もう一回、解釈してみようと。そしたらですよ。間違いに気がついたの。

私が前に見えていた解釈は

車の後部座席に座り、窓を大きく開け、そこから自分の鞄の中身を外に見せている

っていう解釈。自分の才能を人に差し出しているという解釈になるのですが、私はこれが嫌いで。

鞄の中身を外に向けて見せているって、アホなん?アホだよね。自分はいいもの持っているんだよーって自慢しているように見えるし、さらには、そんな方法で人にアピールするなんて、自分自身を大切にしていないように感じる。

私は、外から見ると、こんなバカなのかと、すっごく嫌で。

なんですが、今日知った解釈は違いました。

鞄を陰干しする(鞄の中身を出して、鞄は外に干して風を通す)。

という解釈。いつも使っている鞄(身体)。大切に使うためには定期的なお手入れが必要で、中身(才能)を出して、鞄(身体)に新しい風を通すという作業。中身(才能)を出して、視覚化(再確認)して、いらないものを捨て(ここでも浄化)、必要なものだけを残してアップデートするということ。

この解釈に変わりました。

うん。これならわかるよ。

MCは頂点で、満月っぽいエネルギー。昨日は満月だったからかなあ。

というわけで、身体、浄化してきます。

2026年3月3日 月食と星食

今日は3月3日ひなまつりです。ひなまつり付近の宇宙は非常に、、、特異になっています。

まず、今日(3月3日)は満月です。皆既月食を伴う満月で、太陽ー地球ー月が一直線に並びます。ちなみに日食は、太陽ー月ー地球が一直線に並ぶ現象です。

また、月はちょうど赤道付近におり、明日、赤道を跨ぎ、北から南のゾーンへ移行します。

さらに、月は昨日、獅子座の一等星レグルスを食べました。星食です。今日は獅子座の他の星を月食中に食べます。食われているのに、食うみたいな感じかな。

さて、この現象をどう読み解くか、、、

自分の生きていくベースとなる部分に変化がもたらされる。ベースの部分は人によって詳細は異なるだろうけれども、乙女ー魚ラインでの出来事になるので、お母さんの役割に変化がもたらされるということ。お母さんが家族が生きていくために毎日ルーティンでやっていること、これに変化がある。というより、その中の何かが欠ける。

星食では、月は獅子を食べる。自立のサインだ。

お母さんが、ずっと黙ってやってやるべきと思ってきたことをやめ、お母さんは別のやりたいことを始めるという流れ。

「お母さん」の部分は、自分の生を支えている事柄、と変換可能。

つまり、生きていくために必要最低限やっていること、つまり義務化されていることについて、それが「大事だ」と思えなくなり、それをやめることで、ずっとやりたかったけどできなかったやりたいことができるタイミングである。

ただ、満月なのでね、せかせかするというより、もう勝手に満ちていく感じになる。もうそうするしかないのよ。。。

月と手を組む冥王星

星読みで使う感受点は主に10種。太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星という、太陽系の惑星・準惑星・衛星だ。わたしはそこにカイロンとドラゴンヘッドを入れて12種を使う。人によってはもっとたくさんの感受点を使う方もいる。

それぞれの感受点には発達域と言うものがあって、生まれてからすぐ、幼少期の0から7歳頃に発達するのは「月」である。一方、最晩年に発達するのは、太陽系で一番遠くにある冥王星で、”死ぬ時に理解する”と言われている。わたしは「神」の領域に近い、と教えてもらった。映画「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」に近いエネルギーらしい。底なしの闇、みたいな感じ。

冥王星は前世の死ぬ時に理解した(発達した事柄)を持っていて、それを次の世の月に繋ぐとわたしは考えている。だから、赤ちゃんなのに、なんでも知ってそう!みたいな子がいてもなんら不思議はないと思っている。

わたしの冥王星は天秤サイン。冥王星は動きの遅い天体なので、わたしと同じ冥王星天秤サインの世代の方はたくさんいらっしゃると思う。わたしは幼少期、「結婚」できるのかどうかがとてもとても怖かった。天秤サインはバランス・対等を表すサインで、結婚(制度)も含まれる。いつの間にか、その怖いは消えてなくなったけれど、これは天秤冥王星の「怖さ」だったように思う。

冥王星が天秤サインにいたのは

1971年10月05日15時10分から1972年04月17日16時58分まで

1972年07月30日20時33分から1983年11月06日06時14分まで

1984年05月18日23時23分から1984年08月28日13時50分まで

この期間で、この間に誕生日がある方は冥王星が天秤サインとなる。

今、婚活というかそういった市場ができていることを考えると、この冥王星が効いている気がするのですよ。これより前の世代は結婚を家同士の結びつきと捉えているパターンが多いと思うけど、この世代は結婚を個人の結びつきと捉える傾向が強いと思う。

わたしが幼少期(小学生くらいかなあ)に感じた結婚に対する怖さっていうのは、「わたしのことを好きになってくれる人なんているんだろうか?」という内容だった。これが月(月は勝手に発動する生き方)と手を組んで、無意識に脳に広がっちゃっていたのかもしれないな、と今は思う。

だって、結婚した今を持ってしても、「相手と対等とは何か」みたいな気持ちというか課題というかそう言ったものは持ってる。どこまでやったら相手とバランスが取れているの?みたいなね。今は、どこまでわたしは稼いだらいいんでしょう?家事はどのくらいの割合なんでしょう?みたいな気持ちは持っちゃってるのねえ。

ここは、冥王星だから、もう死ぬまで?なんだろうけどね。

月・天王星 合

わたしは自分を快適な環境に置くことをずっと躊躇ってきたなあ、と思います。

これは子供の時の出来事です。

わたしは小児ぜんそくを患っていました。家を改築して、自分の部屋を持てるようになりました。子供の部屋は二つ。北側の部屋と南側の部屋。喘息だったわたしは、病院の先生の助言もあって、南の温かい部屋に入ることになっていました。

しかし、その部屋には入れませんでした。寒い北側の部屋がわたしの部屋になりました。それは妹がどうしてもそっちがいい、と言ったからです。部屋の角に設置された出窓がなんだか新しい都会的な雰囲気でかつ開放感があり、細長いこれまでの日本家屋的な北側の部屋に比べるとおしゃれにカッコよく過ごせそうに見えました。

わたしはどちらでも良かったのです。それに、喧嘩になるよりは、自分が北側でいい、と言ってそっちにして、みんなが気持ちよく新しい改築した家に住める方が重要でした。

ただ、わたしには不満がありました。部屋が北側になったということよりも、母親の対応でした。

わたしには、「喘息だから、あたたかい南の部屋があなたの部屋よ」と母はわたしに言ったのにもかかわらず、「妹が絶対こっちがいい」と主張した時、何も妹に言わなかったからです。

後から、わたしは、母に「あっちの部屋がわたしの部屋だったでしょ」と訴えました。母は謝るどころか「北側の部屋の方が、家具が焼けなくていいのよ、収納もいっぱいあるでしょ」と。

わたしは憤りを感じましたが、何も言いませんでした。その時のわたしにはそうするしかすべがなかったからです。

今なら、わかります。わたしは北側の子供部屋になったことよりも、母がわたしに約束したことをすっ飛ばして、自分を正当化していること、また、この行動は子供の病気をよくする気がないことを意味していて、さっさとそんな人からは離れた方が賢明であろうと言えます。

また、もっと妹に反発を自分がすれば良かったじゃないか、自己主張すれば良かったじゃないか、とも思えます。ですが、しませんでした。それも今ならわかるんです。

真っ暗な押し入れに閉じ込められたり、夜、あたたかい寝室からわたしだけ寒い廊下へ追い出され、母が戸を押さえつけ開けられないようにされたことが、小さい時に複数回ありました。母の言うことを聞けなかった時です。「嫌だー」と叫んでも、「ごめんなさい」と謝っても、もちろん理由なんて言ったところでどうにもならくて、一定時間が経たないと絶対に許してもらえませんでした。わたしはこれがものすごく怖くて、大嫌いでした。

これが嫌で、わたしは母に文句を言うことを極端に怖がったと思います。自分に正当な理由があっても聞いてもらえないし、体格差で子供はまず大人に敵いませんから、その状況になることをとにかく避けるしか方法がないのです。妹との喧嘩は無意味、自己主張すれば怖いことが待っている。わたしが幼少期(月の期間)に無意識にラーニングしたことです。

こんな感じで、わたしは大人になり、子育てに突入しました。このこと、子育てをするまですっかり忘れていました。でも子育てをしていると気がついてきます。

特に今日は、月と天王星が合しています。幼少期に抱えた感情に何にかしらの「アクシデント」、無意識が顕在化する出来事が発生してもおかしくありません。

天王星のアクシデントはそれ単体で見たら、「避けたいような嫌なこと」かもしれませんが、自分次第で、自分が生きやすくなるための「きっかけ」に昇華できます。

だから、わたしも今日は、感情に波風的なアクシデントがあっても、よくなるきっかけと思ってスルーするのではなく、前向き行動して生きやすくしていこうと思います。

特に、自分の身体が快適に過ごすことへの前向きな投資(行動)ね。

心を整える

わたしは天使が大好きです。姿は見たことないし、声も聞こえないけど、それでも天使が大好きです。もっと大きく広く書けば、シンプルにスピリチュアルなことが好きなんだと思います。

子供時代を完璧に過ごして大人になった人っていないと思います。なんの淀みもない両親から生まれ、何の問題も抱えない家族で、学校生活も順風満帆。魂を削るようなことは何もなく、一点の曇りもなく大人になりましたー、なんて人。

もちろんわたしも完璧とは言い難い幼少期・少年期を経て青年期になり、成人したわけですが、、、。

過去、働いて数年経った頃でしょうか。加藤諦三先生の著作をたくさん読んだ時期がありました。わたしの完璧とは言い難い子供時代をとても癒してくれたので、たくさん読んだのですが、その中で、ずっと?マークだった見解があります。それは(わたしの解釈になりますが)、「日本にもキリスト教が浸透すると良い」というような意見でした。

わたしはイエス様が大好きだったのですが、かといってキリスト教徒なわけでもなく。家も普通の家庭で、特段どこかの宗派に傾倒するでもなく、正月は神社に初詣に行くよ、死んだらお墓だよ、くらいで、宗教(スピリチュアル)に関してはかなり軽い感覚の家で育ち、好き以上に何かするわけではありませんでした。

こんなふうに育ったわたしは、大人になってからのこういったスピリチュアルに関しての価値観が、日本の八百万の神様という概念いいよね、至る所に神様いらっしゃって、安心よね。という感覚を採用していて、イエス様は大好きでも、キリスト教の一神教、絶対神のあり方には正直それほど魅力を感じていませんでした。

八百万の神様で大満足だったわけです。

だから、先に紹介した加藤先生の意見には「?」が点灯して生きていました。

それで良かったはずなんです。なんとか生きていけてた。でもダメになったんです。それが子育てをしてからだったんです。

子育て前のわたしの価値観は、幼少期から過ごした家庭で育まれた価値観です。それはわたしの意見というよりは、「母や父の意見を踏襲したもの」でした。これは星読みを深めていく上で理解したことでもあります。

その価値観のもと、子育てを進めるのですが、どうしても解決できない問題が出てきました。それが、子供の病気(アトピー)との向き合い方でした。

どの親もそうだと思うのですが、子供が病気で苦しんでいたら助けたい、と思いますよね。助けようと色々勉強をすると、おそらく多くの人が「病気の元はお母さんです」というフレーズに出くわすと思います。

病気を治すために生活習慣(食事や睡眠・運動などの生活の質)を改善し、病気の根本からなおそうとしますが、それだけではダメで、心=精神も治さないと完治はしない、と書かれています。そして、心はお母さんから来ていますよ。お母さんの心の問題をお子さんへ持ち込んではいけませんよ。という、「子の病気は親から」という解釈が、一人ではなく、複数の方が様々な本で紹介しています。

こうなると、わたしはもうお手上げで。

なぜなら、わたしも子供の時、喘息・アトピー持ちで、高校生の時に完治しますが、それに苦しんだ経験があるからです。それだけでなく、大人になってからも、そこそこ厄介な病気にわたしは見舞われています。

つまり、病気になる「種」をわたしは母(家族)の生き方から、すでにもらっているんです。

わたしはこの種をこれ以上子供に渡したくないんです。でもどうやったら渡さなくて済むのかわからない。心=精神の整え方がわからないんです。

母(家族)の教え、つまりこれまでの経験では、その答えを出せません。

ぶっちゃけ、物理的な面は非常にわかりやすいのです。ちゃんとした食事をとること、運動すること、ちゃんと寝ること。これは比較的わかりやすい。体質によって差はあると思うけど、それでも正解が見える。

でも、精神を整えるって?どうしたらいいの?何を治したらいいの?って。瞑想?内省?でも正解が何なのかわからない。見えない。

そうすると、見えている正解までも、うまくまわらなくなる。心がぐちゃぐちゃで、食事や運動などの生活習慣に、正解を持ち込めなくなる、夜もよく眠れない、、、。

それでようやく気がついたのが、これ、

「薬で抑えても意味がないよ、根本を治さないとね」

わたしの場合のアトピー(病気)の「種」はこの考え方(言葉)だったの。

薬はだめ、副作用もあるし。根本を治さないと。わたしは幼少期、喘息のために薬をいっぱい飲んでいたの。毎晩2種類。発作が起きるとそこにプラス4種。もう薬は飲みたくないの。子供にも飲ませたくない。本当は。

でもね、子供がアトピーで痒くて身体を掻いているのを見るのが辛いのね。薬なしで治せるのだとも思う。そして、そうすることで子供も子供の身体も健やかになるんだと思う。

でもね、わたしが救われなかったの。薬で生きながらえたわたしを否定しているってことだったの。ごめんね。薬とわたし。つまり、わたしの身体ね。ごめんね。

さらに、

「ああ、わたしの薬への頑ななまでの否定で、子供をここまで辛い目(痒くてよく眠れない)に合わせたんだな、わたしのダメなところだったんだな」ってわかった。

もちろん、薬を飲み続けていいわけではないと思ってる。ちゃんと根本を治さないとね。ただ、心を整えて完治させるにあたり、自分の頑なさ・意固地さみたいなものは、余計現状を拗らせるだけなんだと思った。

薬を否定しなくてもいいよって。薬という選択肢を消す必要はないよって。わたしの場合、薬を否定すると、自分の身体を否定することになる。そして、それを飲ませた母や幼少期の家庭環境を否定すること、その時に培った八百万の神たちへの安心感までも否定することになっていたのね。だから、とても辛かったのね。

子供にアトピーの塗り薬と飲み薬を使ったよ。みるみる良くなってびっくりした。夜も寝入る前に痒そうにしていたのがピタッと止まった。薬の効果はすごいね。わたしが「安心」して子供の横で眠ることができた。

これに気づけたのが、天使のおかげだったの。自分の不甲斐なさが、本当に苦しくて、子供が痒がっているのに、自分の精神を整えることがぜーんぜんできなくて、、、天使に心を整えてくれるよう、助けをお願いすることにした。

天使にお願いしようと思った時、頭をよぎった。

失恋して、苦しすぎて、自己啓発・スピリチュアル系等の本を読んで心を癒していた時、母にその本を捨てられたことを。それは、わたしが心の拠り所にしていた天使の本だった。

わたしは「母」を捨てた。家族も捨てた。わたしはわたしの「好き」を信じた。だって、もう限界だったから。

これまでの価値観じゃ、わたしの心を保てなかった。

「捨てた」よりも「超えた」の方が表現としては正しいかもしれない。

ここで、加藤先生のいう「絶対神」の存在が浮き彫りになった。先に進めなくなった(家族を信じられなくなった)時、それ以上の存在を拠り所にする必要があるんだと。

わたしは天使を通じて、絶対神にお願いをしたんだと思ってる。

2月20日。

海王星・土星が牡羊で合。そして、太陽が水瓶から魚サインへ入った。

新しい価値観の世界線に入った。

新しい価値観を持ち込む勇気を。見えない世界へ敬意を。