相手のためを思うならどちら? 

風の時代に入って、地球の歩き方が変わりました。

これまでは相手の悲しみに共感をする必要が大いにあったのですが、風の時代はその必要がこれまでよりもなくなりました。ちょうど傷ついている人に心無い言葉を浴びせろと言っているのではないのです。一緒に悲しみを共有したい、と思ったら心を通わせる。悲しみを共有したくないと本音でそう思ったら、共感をする必要はないのです。

悲しみを抱えている人もいつかは前を向いて歩き出さなくてはいけません。残酷なようですが、前を向いて動き出すのに必要なのは「情=共感」ではなく、単なる「行動」なんです。一緒に泣くだけ泣いたら、どっか別の場所へ移動する方が、早く悲しみから抜け出せます。

よく、こうした方がいいのはわかっているけど、なかなかできないの、という方も見かけます。(まあ、わたしもあるんですけど!)

この場合、できなくて当然だし、できなくもいいんじゃない?と、その方にいうのは、風の時代、ものすごくマイナスの行為であります。一見、いい人そうな対応なんですけど、最悪の対応と言わざるを得ません。できなくて当然、という共感まではいいのですが、できなくていいんじゃない、という提案をすることがNGなんです。相手は、こうした方がいいのにできないと言っているので、本当はできるようにしてあげる声かけの方がいいのです。できないままでいいよって、実は悪魔の囁きと同じです。

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