現実創造のスピードが速いから

意識しようがしまいが、人は引き寄せを100パーセント使っている。これまではそのスピードが緩やかだったのだが、風の時代に入ったからか、思ったことが現実になることがとても早い。というより、今のスピードが速すぎて、これまでのスピードが緩やかだったんだ、遅いんだということに気がついた。

つまり、これまで深刻に重たいこととして捉えていたことも土の時代より速く解決するし、さらには、軽く捉えることができればさらに解決は速まるということである。

昨日、子どもを病院に連れていくため電車に乗った。一駅しか乗車しないため、乗車時間はものの数分しかない。ちょうどおやつの時間に重なる時で、まだ低学年の子どもにはおやつが必要だとわたしが考えているので、電車の中でさっと食べることにした。病院の待合で食べるより、電車の中の方がいいなと思ったという理由もある。わたしも食べたかったので、猛スピードで食べることにした(笑)。

子どもには「次の駅で降りるからね」と言いながら食べていると、通路を挟んだ隣の席の男性(20代前半と見られる)から、小声で「食べ物の音がうるせーよ」と言われ、言うだけ言って去っていった。席に座った時から、その男性は、こちらをじーっと見ていたので、何かある、とは思っていた。だから言われた時も、ああ、と納得した。こちらも配慮が足りないのは確かなので、「ああ、すみません。」とだけ答えたが、何が目的だったのかよくわからなかった。

この現実はわたしが何を理解したかったから起こったんだろう?引き寄せたんだろう?それは思い当たる節があった。スレッズでとある質問に答えようとして、答えられなくてためらったことだ。その質問は、「スレッズで気持ちを吐露すると、優しい言葉をかけてくれる人もあれば、ものすごく辛辣な暴言を書く人がいる、暴言を書く人はなんで書くのだろう」という内容だった。ストレス発散?とその方は一応の答えを提示していたけれど、わたしもその方と同様、ストレス発散なのかな?どうなんだろう?と考えて意味がわからなかった。

わたしの電車の中の件もそれに近い。確かに食べ物を食べる音は、その方にはうるさかったかもしれない。でも、言われた時にはすでに食べ物は片付けていて、もう食べることはないし、そもそも注意したのなら自分が立ち去る必要はない。音がうるさいのならすでに解決している。そして、立ち去って解決することなら、普通に考えて、わざわざ他人に言ったりはしない。だから、解決をしたかったのではなく、暴言を吐きたかった、移動したかった、ということになる。

結論として出したのが「母性・女性性を欲していた」ということになった。人に優しくされたかったのだ。それが歪んだ形で出ているんだ。わたしはその男性をはじめっからなんか怪しい人だな、と思ってしまっていた。醸し出している雰囲気があまり良いものではなかったのだ。だから、わたしもなんかやだなっていう気を相手に送っていたと思う。相手は、それで移動したくなったんだと思う。多分、ものすごく人の目を気にするタイプなんだと思う。気になると言ってもいい。電車から降りる時、あの男性はどこに移動したんだろうか?とホームから電車の中を見ていた。わたしも大概やな(笑)。そうしたら、男性もこちらの視線に気づいたのだ。

わたしはその男性を好きにはなれないし、もう引き寄せたくない、と思った。でも、彼を下に見るのは違う。わたしはそこは間違っていた。下に見てごめんなさい。そして、一番はスレッズへの質問に答えようとしたことがそもそもだ。その時は、何かしなきゃいけない、と自分が焦っている時だった。風の時代はすぐに現実創造する。気軽に楽しんでいる時はいいけど、重たくなったらすぐに立ち去った方がいいんだ。なんなら彼のように(笑)。言う必要はないと思うけど。

風の時代の歩き方

土の時代から風の時代になって、こうも変わるのか、と驚いたことは、飽きた時の対処法だ。

土の時代は、飽きたとしても、必要なことをしていたのならば、その場でとどまってなんとか遂行する方が良かった。時代のサポートが土エネルギーだったので、必要なスキルを身につけるためには、腰を据えて取り組むという姿勢を土がサポートしてくれていたのだ。

一方、風の時代は飽きたら、続けることが本当に難しい。新しい、自由という風エネルギーがサポートをしてくれているので、必要なことであっても、他のことに目がいく。腰を据えてじっくり取り組む、ということができにくくなっている。

この時代の性質を活かす必要がある。必要なことというのは必ずあって、やり遂げた方が良い。でも飽きてやり遂げられない時がある。すぐ飽きるなら、必要なことを細切れでやって、最終的に繋ぎ合わせて完成させる必要がある。

映画を見ていたとして、飽きてきたら、一旦止めて他の作業をする。それからまた映画に戻る。映画は集中力が切れると物語についていけない時がある。そんな時は連続してみることを諦める。そうやって最後まで鑑賞する。

風の時代に備えて色々やってきたつもりで、それはそこそこ活かされていると自負はしているけれど。これからは心配は置いといて、楽しむことが大事だな、とも思っているので、飽きたら次の楽しみを!をモットーにしばらくやってみようかな。

履いて寝るだけの小さな整体師 あしなか

「履いて寝るだけの小さな整体師 あしなか」を作れるようになりました。わたしに作り方を教えてくれた師匠は妖精が見える方で、あしなかに妖精を宿しているそう。わたしも妖精を宿したあしなかを作れるようになりたくて、あしなかの編み方だけでなく、妖精の宿し方まで教わりました。

わたしは妖精が見えないので、師匠に宿せているかのチェックをしてもらい、無事に宿せるようになったことがわかりました。

さて、あしなかってなんでしょうね。口頭で伝わってきているもので、わたしも詳細がはっきりとわからない、というところが実際のところではあるのですが、大病をしてからわたしの身体は(当たり前ですが)元気がなかったのですが、これを履いて寝たところ、調子が上向きになったのです。あしなかはタイトルの通り、履いて寝るだけで整体師の役割を果たしてくれるものなんです。

作れるようになったとはいえ、まだまだ見た目良く作ることができず、規定に沿ったものはできるようになったんですけれども。家族や友人のお誕生日に贈り物としてコツコツ作って上手になったらいいなあ、と思っています。

相手のためを思うならどちら? 

風の時代に入って、地球の歩き方が変わりました。

これまでは相手の悲しみに共感をする必要が大いにあったのですが、風の時代はその必要がこれまでよりもなくなりました。ちょうど傷ついている人に心無い言葉を浴びせろと言っているのではないのです。一緒に悲しみを共有したい、と思ったら心を通わせる。悲しみを共有したくないと本音でそう思ったら、共感をする必要はないのです。

悲しみを抱えている人もいつかは前を向いて歩き出さなくてはいけません。残酷なようですが、前を向いて動き出すのに必要なのは「情=共感」ではなく、単なる「行動」なんです。一緒に泣くだけ泣いたら、どっか別の場所へ移動する方が、早く悲しみから抜け出せます。

よく、こうした方がいいのはわかっているけど、なかなかできないの、という方も見かけます。(まあ、わたしもあるんですけど!)

この場合、できなくて当然だし、できなくもいいんじゃない?と、その方にいうのは、風の時代、ものすごくマイナスの行為であります。一見、いい人そうな対応なんですけど、最悪の対応と言わざるを得ません。できなくて当然、という共感まではいいのですが、できなくていいんじゃない、という提案をすることがNGなんです。相手は、こうした方がいいのにできないと言っているので、本当はできるようにしてあげる声かけの方がいいのです。できないままでいいよって、実は悪魔の囁きと同じです。