自分の自己肯定感?

現代においては、自己肯定感は高い方がよしとされている風潮がある。私の場合、自己肯定感が低い部分と高い部分とがある。「外に出て働くこと」に関しては、自己肯定感が高く、比較的に誰とでも対等に仕事ができる。が、一方、「家の中の仕事」に関しては、自己肯定感が異様に低い。そして、家事ができないから低いのではなく、できても低いのだ。

”家事なんて面倒なだけで、たいした仕事じゃない”と思っていて、一生懸命やっても、誰でもできることなんだからできて当たり前で、それやっただけじゃダメだよ、もっと他の有益な仕事に着手しないといけないよ、と心の中の私が話している。

一方で、”家事なんてたいした仕事じゃないかもしれないけれど、量は無限にあるし、質を求めれば底なしになる。それに家事は生活の土台になっていて、ここがしっかりしないと他のことも結局成し遂げられないから必須でできるようになったことがいいもの”と心の中の別の私が話している。

これのどっちが本物の自分かと言われれば、後者の方の考え方なのだ。じゃあ、なぜ前者のような考え方のような自分がいるのか、と言えば、それは私の母がそう考えていたからなのだ。母の考えが私に写っているからなのだ。

なぜこんなことが起こるのか、といえば、それは星読みでいう「月」の影響。勝手に発動するアビリティタイプの能力。月は好きで使えるようになるんじゃない、好むと好まざるに関係なく、勝手に獲得する。

月は太陽の出力を調整する。太陽は今世の目的(やりたいこと)だ。それをどのように感情面で捉えるのかがわかる。月は、主に、幼少期に発達し、自分を育ててくれた母、またはそれに準ずる人の考え方・育て方に起因する。

自分がやりたいことをする時、幼少期は自分でできないことが多い、誰かにできない部分を担ってもらわないといけないが、それを担ってくれていた人物がどんな反応をするのかで、自分の目的達成について、どんな感情が湧くのか理解できるのだ。

私の場合で説明すると、家事を面倒だけどたいしたことない、と思っているのは「母」なのだ。母は、ことあるごとに私にお手伝い(家事)をしなさいと言った。勉強するよりお手伝いが重要なのよ、と。子供の時は、なぜかそれがものすごく嫌で絶対に手伝いたくなかった。今ならその感情が理解できる、母は面倒くさいから、私にやらせたいと思っていて、でもそれを言えないから、もっともらしいことを言ってさせようとしていたから。嘘を見抜いていたんだ。

母が家事をめんどくさいこと、と思うようになったのも理解できる。母とそのまた母の関係、そして義理母との関係をみると、はっきりとわかる。(母は三人兄弟で上が兄二人の末娘、自分だけが家事を手伝わされていたらしい・義理母は家事が苦手で、というよりできなくて(汚部屋にしちゃうような人)、全て母が家事をしていたが、できないくせに文句だけは一丁前)

もちろん、家事はめんどくさいよ。私もそう思う。でも、それならそう言って私に手伝わせて欲しかったと思う。なぜなら、私は、こう思うようになってしまったからだ。

”自分がめんどくさいことは、誰かに最もらしい言い訳を言って、手伝ってもらわないといけない。でも、めんどくさいから嫌がられて、結局手伝ってもらえない。”

家事以外でも、雑用的な扱いを受けやすい仕事に対して、そう思って行動してしまう自分が出来上がってしまったからだ。

めんどくさいことは、ちゃんとめんどくさいと言っていいのだ。で、それで手伝ってもらえればありがとう、だし、そうでなければ(やらなきゃいけないことなら)、そうだよね、私、頑張る!しかないのだ。

また、これもわかるよね。母は外で働くことをとても大事に考えていた。それは「お金」が大事だと思っていて、外で一生懸命働く父をちゃんと支えていた。だから、仕事をやっている自分は自己肯定感がちゃんと高いのだ。

で、そういった感情の仕組みを理解したら、それでよし。新しい行動をしてそこで感じる、母という月ではなく、自分の月=感じ方を探しに行こう。

それが家事はめんどくさい(なんなら拷問かもな)、という連鎖にしてしまっていた、ずーとずーと前の、母たちからの鎖が切れるから。

結論:家事は尊い仕事だよ。外でお金を稼ぐことに負けない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です